Maurizio Lucidi マウリツィオ・ルチーディ | |
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別名義 |
モーリス・A・ブライト(Maurice A. Bright) マーク・ランダー(Mark Lander) |
生年月日 | 1932年 |
没年月日 | 2005年 |
出生地 | イタリア王国、トスカーナ州フィレンツェ県フィレンツェ |
死没地 | イタリア、ラツィオ州ローマ県ローマ |
職業 | 映画監督、脚本家、編集技師 |
ジャンル | イタリア式コメディ、ソード&サンダル(剣戟映画) |
活動期間 | 1959年 - 1997年 |
活動内容 |
1959年 編集技師 1965年 監督デビュー |
主な作品 | |
監督 『定められた生贄』 『最後の大犯罪』 『ロジャー・ムーアinシシリアン・クロス/闇の仕掛人を消せ』 編集 『追い越し野郎』 『怪物たち』 |
マウリツィオ・ルチーディ(Maurizio Lucidi, 1932年 - 2005年)は、イタリアの映画監督、脚本家、編集技師である[1][2]。職業的別名にモーリス・A・ブライト(Maurice A. Bright)、マーク・ランダー(Mark Lander)がある[1]。
1959年、アルベルト・カヴァルカンティ監督の『初めての夜』に編集技師としてクレジットされたのが、もっとも古い記録である[1]。ヴィットリオ・コッタファーヴィが監督した『豪勇ゴライアス』等のソード&サンダル(剣戟映画)ものを多く編集している[1]。1962年には、ディーノ・リージ監督のイタリア式コメディ『追い越し野郎』、翌年には同じく『怪物たち』の編集技師を務める[1]。
1964年、ピエル・パオロ・パゾリーニが監督した『奇跡の丘』で助監督を務め、翌1965年には、「モーリス・A・ブライト」の名で『巨人たちの挑戦』を監督し、映画監督業に進出した[1]。1967年に監督した『虐殺砦の群盗』以降は、編集技師として同様に本名を名乗る[1]。
1990年代にはテレビ映画の監督が中心になるが、1992年には、オーソン・ウェルズが製作を開始したものの現在もなお完成していない映画『ドン・キホーテ』のオリジナル版編集にクレジットされている[1]。1997年に「マーク・ランダー」の名で監督した、イタリア・チェコ合作によるビデオ映画『婦人科学者』を最後に、映画の現場を去っている[1]。
一部を除きインターネット・ムービー・データベースに掲載された一覧である[1]。