『マザー・フォーカス』 | ||||
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フォーカス の スタジオ・アルバム | ||||
リリース | ||||
録音 |
1975年5月 | |||
ジャンル | プログレッシブ・ロック、ジャズ・フュージョン、インストゥルメンタル・ロック、ファンク | |||
時間 | ||||
レーベル |
ポリドール・レコード アトコ・レコード | |||
プロデュース |
フォーカス Hubert Terheggen(エグゼクティブ・プロデューサー) | |||
専門評論家によるレビュー | ||||
チャート最高順位 | ||||
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フォーカス アルバム 年表 | ||||
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『マザー・フォーカス』(Mother Focus)は、オランダのプログレッシブ・ロック・バンド、フォーカスが1975年に発表した5作目のスタジオ・アルバム。通算では6作目に相当する。
2作目から前作までプロデューサーを務めたマイク・ヴァーノンの手を離れ、メンバーがプロデュースした[3][注釈 1]アルバム。1975年5月に新ドラマーのデヴィッド・ケンパーを迎えて制作されたが、「アイ・ニード・ア・バスルーム」のみ前任者のコリン・アレンがドラムスを担当した[4][注釈 2]。
前作まで作曲の中心的な役割を担ってきたタイス・ファン・レール(キーボード、フルート、ボーカル)とヤン・アッカーマン(ギター)は当時、ソロ・アルバムの制作を準備していたので、本作にはベルト・ライテル(ベース、ボーカル)が自作を4曲提供した。収録曲の大部分はインストゥルメンタルだが、「マザー・フォーカス」ではファン・レールが、「アイ・ニード・ア・バスルーム」ではライテルがボーカルを担当している[4][5]。
メンバーの友人が作曲した「ノー・ハング・アップス」は前年の夏頃からライブで取り上げられており、他の収録曲に先立ち1975年1月に録音された[6]。
アッカーマンは、本作を最後に1976年にバンドを脱退するが[7]、同年発売のアウトテイク集『シップ・オブ・メモリーズ-美の魔術-』には、脱退前の彼が参加した最後の2曲が収録された。また、1985年にはアッカーマンとファン・レールの連名による新作アルバムFocusが発表された[4]。
母国オランダのアルバム・チャートでは、『フォーカスII』(1971年)以降のアルバムとしては初めてトップ10入りを逃す結果となった[8]。ノルウェーのアルバム・チャートでは4週連続で17位を記録した[1]。
ベン・デイヴィーズはオールミュージックにおいて5点満点中2.5点を付け、タイトル曲に関して「アルバム中最も典型的なフォーカスの曲」、「アイ・ニード・ア・バスルーム」に関して「アルバム中最良のファンク・トラックの一つ」と評する一方、「『マザー・フォーカス』自体は良いアルバムだが、彼らの初期のアルバムにおいてプログレッシブ・ロック路線が特色となっていたことを考えると、期待外れに感じる人もいるかもしれない」と評している[7]。
アッカーマンは1994年に発表したソロ・アルバムBlues Hearts[9]で、ファン・レール作の「フォーカスIV」を自作の'Soft Focus'として取り上げた。ファン・レールに盗作であると指摘されて訂正を求められると、彼は1997年に発表したライブ・ソロ・アルバム10000 Clowns On A Rainy Day[10]で'Soft Focus'のライブ版を発表して、M. MuletaとT. van Leerの共作であるとした。M. Muletaとは彼の偽名である[11][12]。