マジェルテーン (英語 : Majeerteen , ソマリ語 : Majeerteen , アラビア語 : ماجرتين ; also spelled Majerteen , Macherten , Majertain ,Mijurtin )[ 1] は、ソマリ族 の氏族 。ダロッド 氏族の支族。主にソマリア のバリ州 、ヌガール州 、ムドゥグ州 に住む。現在のソマリアは連邦制を取っており、ソマリア東北にあるプントランド はマジェルテーン主体の国である。ソマリア独立前にはマジェルテーン・スルタン国を作っていた。
マジェルテーンは昔から、現在のバリ州 、ヌガール州 、ムドゥグ州 に当たる地域に住む[ 2] 。北はバンダル・シヤダ (英語版 ) からガラカド (英語版 ) の辺りの海岸沿いに住む[ 3] 。また、ガローウェ 、ガルカイヨ といった内陸部の都市に住む者もいる。
19世紀に同じダロッド氏族のドゥルバハンテ (英語版 ) 、ダシーシュ、ワルセンゲリなどと共にソマリア南部のキスマヨ にも移住している。
この他、エチオピアソマリ州 のオガデン 付近に住む者もいる[ 4] 。
昔のマジェルテーンの政治形態ははっきりしない。17世紀初頭にはマジェルテーンとして氏族集団を形成していたらしい。18世紀半ばにはスルターン国 と呼べるほどの勢力になっていた(マジェルテーンスルターン国 )。
1860年に即位したスルターンであるオスマン・マハムド (英語版 ) の頃[ 5] 、ヨーロッパ人との交流が始まった。オスマン・マハムド王は時代の波に乗り、カルカール州 、ヌガール などを支配下に置いた。さらに交易網を強化し、外国と条約を結んで、強力な中央集権 制度を敷いた[ 6] [ 7] 。ところが、いとこのユスフ・アリ・ケナディド (英語版 ) の勢力と争いが生じ、当初はケナディドをアラビア半島 のイエメン に追放することに成功するが、ケナディドはホビョ のハウィエ 氏族を1878年に制圧してホビョスルターン国 (英語版 ) を作った[ 5] [ 8] [ 9] 。しばらくはオスマン・マハムドとユスフ・アリ・ケナディドの王国が並立する状態が続いた[ 6] [ 10] 。両国の活動記録文書も残されている[ 11] 。
1888年、ユスフ・アリ・ケナディドはオスマン・マハムドに対抗するため、自国をイタリア の保護領 とした。翌1889年にはオスマン・マハムドも自国をイタリア保護領とする条約を結ぶ。この頃、イギリスとイタリアは競うようにしてソマリア各地の氏族集団を保護する条約を結び、支配を広げていった。
20世紀になると、イスラーム聖職者(ムッラー )のサイイド・ムハンマド・アブドゥラー・ハッサン が大規模な反乱を起こし、一時はイタリアやイギリスの軍を破って勢力を伸ばした。イタリアはユスフ・アリ・ケナディドに対してイギリス軍への協力を要請するがケナディドはこれを拒否し、結局ケナディドはイエメンのアデン に、その息子はエリトリア に追放されてしまう[ 12] 。
ケナディドの別の息子であるオスマン・ユスフ・ケナディド (英語版 ) は有名な詩人、学者であり、1920年代にソマリ語を表記するために、ラテン文字でもアラビア文字でもない独自のオスマニヤ文字 を考案している[ 13] 。
イタリアはサイイド・ムハンマド・アブドゥラー・ハッサンの反乱鎮圧を通じて勢力を伸ばし、最終的にマジェルテーン居住地を含めたソマリアの多くをイタリア領ソマリランド として支配することになった。
1960年のソマリア独立当初は大統領、首相、国会議長をハウィエ 、ダロッド 、イサック の3氏族で分け合っていた。初代首相のシェルマルケ 、2代目のアブディリザク はともにダロッドのマジェルテーン氏族だった。シェルマルケは2代目大統領となった。
クーデターで3代目大統領となったモハメド・シアド・バーレ はダロッドではあったがマレハン (英語版 ) 氏族出身である。バーレは自政権の終わりに、自分が所属するマレハン氏族の優遇措置を取った。1978年にマジェルテーンの一族はクーデターを企てるが失敗し、多くが処刑された。生き残ったマジェルテーンの有力者の一人アブドゥラヒ・ユスフ は、軍閥ソマリ救済民主戦線 (英語版 ) (SSDF) を設立する。SSDFは当初はイサック やハウィエ も含んでいたが、やがてマジェルテーン氏族中心の軍閥となる。バーレ政権崩壊後はソマリア内戦 となり、SSDFも2つの派閥に割れる。
1998年、マジェルテーン氏族を中心とするハルティ は、ソマリア北東部でプントランド の建国を宣言する。プントランドの大統領は、初代アブドゥラヒ・ユスフ から現職のアブディウェリ・モハメド・アリ まで、全てマジェルテーンで占められている。2011年時点のプントランド議会は、65議席中の30議席がマジェルテーン氏族の割り当てとなっている[ 14] 。
一方、2004年に発足したソマリア暫定連邦政府 の初代大統領はマジェルテーン氏族で初代プントランド大統領だったアブドゥラヒ・ユスフ である。次代大統領はハウィエのアフマド であったが、アフマドは首相にマジェルテーン氏族のシルマルケ 、アブディウェリ などを任じている。
血縁集団である氏族ではあるが、その系統は分からなくなっている部分も多い。ここでは世界銀行 が2005年に発行した Conflict in Somalia: Drivers and Dynamics [ 15] とイギリス内務省 が2001年に発行した Somalia Assessment 2001 [ 16] を元に説明する。
アリ・サレバーン支族はボサソ に古くから拠点を持つ一族である[ 17] :19 。第3代大統領のバーレはアリ・サレバーン氏族とクマール・マハムード氏族を競わせてマジェルテーンの弱体化を図った[ 17] :19 。、
1960年代は、アリ・サレバーン、ワダルムゲ、シース・マハムド支族がキスマヨ の経済界で力を持っていた[ 17] :19 。
現在では、マハムード・サレバーン支族の下部であるオマル・マハムード、オスマン・マハムード (英語版 ) 、イセ・マハムードの3支族がプントランド で大きな権力を握っており、歴代の大統領はこの3支族が交替で受け持っている[ 14] 。この他、ムセ・サレバーン、ウガール・サレバーン支族が大きい[ 17] :17 。
ダロッド
マレハン (英語版 )
カバラー (Kabalah)
ハルティ
ドゥルバハンテ (英語版 ) (Dolbahante)
ダシーシュ (Dishiishe, Dishishe)
ワルセンゲリ (英語版 )
マジェルテーン
Wabeeneeye
Idigfale (Muuse Noleys)
Danweyne (Abdalle Noleys)
Amaanle
Guddoonwaaq
Filkucaag
Amartiwaaq
Tabale
アリ・ジブラヒル (Ali Jibraahiil)
Nuux Jibrahiil
Cabdirixiin Ibraahim
Wadalmoge
Reer Umar
Reer Maxamuud
Abukar Maxamuud
Faarax Ismacil
Ciise Ismacil
Maxamed Ismacil
Qaasin Maxamuud
Maxamed Qaasin
Axmed Qaasin
Aadan Qaasin
Bare Qaasin
Ibraahim Qaasin
Reer Bicidyahan
Siwaaqroon
Abdirahman
Adan Abdiraxman
Ibrahim Abdisamad
Yoonis Abdisamad
Mohamud Abdisamad
Cawlyahan (Obokor Abdiraxman)
Ciise Cawlyahan
Jibriil Cawlyahan
Hashim Cawlyahan
Mohammed
Ugaar Saleebaan
Ismail Saleebaan
アリ・サレバン (Ali Saleebaan)
Bicidyahan Ali
Auliyahan Ali
ウマル・アリ (Omar Ali)
Adam Ali
Ismail Ali
マハムード・サレバーン (Maxamuud Saleebaan)
Cumar Maxamuud
Cusmaan Maxamuud
Ciise Maxamuud
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ダロッド
Geri Kombe マレハン (英語版 )
Red Dini
Rer Hassan
Eli Dheere
Kabalah
ディル (英語版 )
イッサ
Eleye
Walaldon
Horone
Furlabe
Urweyn
Wardiq
ガダブウルシ (英語版 )
Habar Makador(Makahil | Mahad 'Asse)
Habar 'Affan
ハウィエ
イサック
Haber Awal
Sa'ad Muse
Issa Muse
Eli muse
Ayub
Habr Garhadjis
Habr Yunis
Aidagalla
Arab
Habr Jaalo
Mohamed Abokor
Ibrahim
Muse Abokor
Samane Abokor
Ahmad
ラハンウェイン
Digil
Dabarre
Jiddu
Garre
Tunni
Geledi
Mirifle
少数氏族 主な居住地 (大ソマリア) 関連項目
1 論争あり