マチカネワニ (待兼鰐、Toyotamaphimeia machikanensis )は、第四紀 更新世 チバニアン (ミンデル氷期 -リス間氷期 頃、30-50万年前頃)に日本に生息していたワニ 。全長約7 m(メートル ) の大型のワニである。マチカネワニ属、もしくはトヨタマヒメイア属(Toyotamaphimeia )唯一の種であったが、2023年に台湾 からT. taiwanicus が記載された他、日本から記載された他のワニ化石が同属別種に属する可能性もある[ 1] 。
化石 は、1964年 に大阪府 豊中市 柴原 の待兼山 丘陵に位置する大阪大学豊中キャンパス の理学部で新校舎建設現場から産出した[ 2] [ 3] 。
発見の発端は1964年 5月3日 、偶然大阪層群 の化石の採取に来ていた高校生、人見功と大原健司が道路側溝を作るために掘り上げられていた土の中から脊椎動物の肋骨 破片を発見したことである。発見された化石はすぐに大阪市立自然史博物館 の千地万造 に持ち込まれた[ 2] 。同年5月10日 、千地万造と大阪大学 教養学部地学教室の小畠信夫 と中世古幸次郎 、大阪市立大学 理学部地学教室の池辺展生 らによって現地調査が行われた[ 2] 。このとき、大阪層群上部の地層中のものであることが確認され、大腿骨破片などの骨片が採集されたがワニ化石であることは未だわかっていなかった[ 2] 。
第1回の発掘は同年6月9日 からの4日間行われ、5月10日に現地調査を行ったメンバーに加え、京都大学 理学部地質学鉱物学教室の亀井節夫 、石田志朗と大学院生、大阪大学教養部の学生が加わった[ 2] 。その後多くのメンバーが加わり本格的な調査が1回目を含め計4回実施され、調査の結果頭骨を含むほぼ完全な骨格化石が採集された(9月17日-9月18日第2回、12月4日-12月7日第3回、1965年1月28日第4回)[ 2] 。 補強、復元は京都科学標本社によって行われ、また大阪大学により研究・保存委員会が設けられて地質学 、古生物学 、組織学 、歯学 、生化学 分野からの総合的な研究と保存が進められた[ 2] 。
この産出は、日本で初めての確実なワニ化石の発見であった[ 2] [ 4] 。それ以前に若松市 (現北九州市 )の第三紀 層からワニ化石の産出の報告があったが、これはイルカ 化石だと思われる[ 2] 。その後、大阪府岸和田市 から更新世 のワニの化石(キシワダワニ )が見つかっており[ 5] 、マチカネワニと少なくとも同属であるとされるが別種である可能性がある[ 6] [ 1] 。
また、マチカネワニ発見以前に台湾 (旧台南州 -新化郡 -左鎮庄 )から徳永 (1936)によりガビアル科 Gavialidae もしくはトミストマ科 Tomistomidae に属すと考えられたワニ化石が発見されていた[ 2] 。その化石は林 (1963)によると頭嵙山期 のもの(ヴィラフランカ期からクロマー期)とされている[ 2] 。この標本や他の台湾からの標本はTomistoma taiwanicus として記載されていたものや未命名であったものが存在したが、2023年にマチカネワニと同属のToyotamaphimeia taiwanicus として再記載された。この研究ではこれらの標本は実際にはマチカネワニと同じくチバニアン から知られる可能性が高いとされた[ 1] 。
大阪大学総合学術博物館 に展示されているマチカネワニのレプリカ 。なお、実物は同館3階にて展示されている。
マチカネワニの骨格復元図。スケールバーは20cmを示す。
計測された値は、頭蓋骨 の長さ(上顎骨 縫合先端と後頭顆後端間の長さ)1050 mm 、頭蓋骨の幅(左右方頬骨外側部の最大幅)491 mm、第1脊椎骨 先端から第29脊椎骨後端までの長さは2850 mm前後であり、尾椎推定4000 mmだったため、発掘当時は全長8 mと推定されていた[ 2] が、その後7 m弱であろうと修正された。2020年には6.3 - 7.3 mの範囲内にあるという推測がなされた[ 7] 。左肋骨 多数、右前足、左後足、恥骨 、尾骨 の大部分を欠損しているが、ほぼ完全な骨格化石だといえる。化石骨は発掘後の風化により著しく脆くなり、発掘直後には茶褐色を呈していたが、次第に変色し淡褐色となったとされる[ 2] 。また、地層中には北西-南東方向に数本の断層があってその影響でかなり破損していた[ 2] 。
タイプ標本である全身化石は大阪大学総合学術博物館 に保存・展示されているが、レプリカ標本は以下の施設でも展示されている。
化石が発見されたのは更新世 の地層だと考えられている[ 2] 。大阪層群 上部の茨木 累層の第8海成粘土層(Ma8)の約1 m下位の砂・シルト質粘土 層、カスリ火山灰に当る層準であることが市原実により明らかとなった[ 2] 。カスリ火山灰の層準は38(誤差±3)万年前ないし42(±8)万年前であるとされる。最近の深海底 の酸素同位体比 層序との比較によれば約55万年前だとみる意見もある。
大阪層群においてはトウヨウゾウ Stegodon orientalis の層(Ma1)より上位に当るが、大きくみて池辺・千地・石田 (1964 )のHorizonⅢ(シガゾウ Elephas shigensis ―Stegodon orientalis )の層準に当る[ 2] 。
同時期に生息していたトウヨウゾウ Stegodon orientalis の歯の化石。
生息環境について、田井昭子、大西郁夫の花粉分析 結果では 大阪層群の海成粘土層に普通にみられる Fagus 帯 (田井, 1964)の構成であり、温暖湿潤型 であった[ 2] 。ヒシ などが生えていた陸地内部で生活し、死んでから川により運搬され、海岸近くの河口の沼沢地で埋没したと考えられる[ 2] 。
インドガビアル やマレーガビアル といった吻部 の細長いワニの咬合力 を推定する数式があり、マチカネワニをこの数式に当てはめると咬合力は1.2 t(トン ) と推定されている。小林快次 曰く、これは魚類だけでなく陸上哺乳類 を噛み砕いて捕食できる値である[ 8] [ 10] 。この時代(40-50万年前)の哺乳類ではトウヨウゾウ のほかにヤベオオツノジカ Sinomegaceros yabei やシナサイ Rhinoceros sinensis 、オオカミ 、タヌキ 、ハリネズミ 、トガリネズミ 、モグラ 、キヌゲネズミ 、ハタネズミ などが知られており、それらとともに過ごしたと考えられる。
1964年 に本化石が発掘されたすぐ後既に大阪大学 歯学部の西島庄次郎は右肋骨 と右尺骨 、右橈骨 が折れて再癒合した状態に着目し、本種にも病理的 痕跡が存在することは認識されていた[ 2] 。
2004年 に桂嘉志浩 によって病理痕跡が詳細に研究され、論文として発表された[ 11] 。
下顎の前部は切断され、脛骨 と腓骨 は骨折し、鱗板骨には噛まれた痕跡が残されており、これらの病理的特徴は外的な要因と考えられる[ 11] 。同種内での縄張り争いや繁殖期における雌の争奪の際に負った傷である可能性がある[ 11] 。各痕跡は治癒した跡があり、怪我を負った後も暫く生存していたことが分かった[ 11] 。
近縁のマレーガビアル Tomistoma schlegelii 。
発見当初は、本種は頭骨 の特徴が現生のマレーガビアル属 と類似している(鼻吻部が異常に長く狭いこと、鼻骨が外鼻孔まで届かず楔状であること、前上顎骨は片側5本、上顎骨 は片側16本と上顎の歯式が同じことなど)ことからマレーガビアル属の新種とされた[ 2] 。亀井節夫 、松本英二により出土した地名(待兼山 )にちなんで1965年 9月、和名はマチカネワニ 、学名 はTomistoma machikanense (トミストマ・マチカネンセ) と命名された[ 2] 。
それから18年後、青木良輔 により再研究され、1983年 、マレーガビアル属ではなく新属のワニであることが示唆され、古事記 に登場しワニに化したと伝えられる豊玉姫 にちなんだ属名を冠した学名 Toyotamaphimeia machikanensis (トヨタマヒメイア・マチカネンシス) と命名された[ 12] [ 4] 。青木は関節骨後突起が分類上重要なことを指摘し、マレーガビアル属よりもクロコダイル属 に近いと提唱した[ 12] 。この論文を出版した「Copeia 」は国際的な爬虫類学 の学術誌 だったため、Toyotamaphimeia の名が世界中に浸透し、その重要性が確認された。
その後世界でワニの新たな研究が進んだため、大阪大学 、北海道大学 、国立科学博物館 による共同研究が始まり、2006年 に本種はトミストマ亜科 Tomistominae に属することが支持され、その中でも進化したものであることが報告された[ 13] 。そのため現生種ではマレーガビアル Tomistoma schlegelii に近縁であることが解明された[ 13] 。この結果はKobatake et al. (1965) と整合性を持つ。また、本亜科の種はヨーロッパ大陸 に発生し、そこからアメリカ大陸 やアフリカ大陸 に移動し、少なくとも40万年前にはマチカネワニやマレーガビアルのようにアジア に移動し生息していたことがわかった[ 13] 。
なお、DNAシークエンシング を用いた分子系統解析では、マレーガビアル が実際にはインドガビアル上科 インドガビアル科 に属することが示されている。これにより、近縁なトミストマ亜科 が全てインドガビアル科に位置付けられ、それに伴ってマチカネワニもその系統的位置の解釈が変更された[ 14] [ 15] [ 16] [ 17] [ 18] [ 19] [ 20] 。2018年には Lee と Yates により形態情報・分子情報・層序を用いた系統解析が発表され、トミストマ亜科は側系統群 であることが示唆された。ここでもマチカネワニはインドガビアル科に位置付けられている[ 19] 。
大阪大学 の公式マスコットキャラクター「ワニ博士」[ 21] のほか、大阪大学宇宙地球科学専攻のマスコットや豊中市 のキャラクター「マチカネくん」[ 22] としてマスコット図案化され、学生・市民に親しまれている[ 4] 。
2014年 、国 の文化審議会 において、国の登録記念物 として登録されることが認められた[ 23] [ 24] 。2016年 には日本地質学会 の県の石 で大阪府の化石とされた[ 25] 。
また、上記の青木良輔は中国で見つかったワニの化石はマチカネワニもしくはその近縁種ではないかと指摘しており、その残存個体と接した古代中国人によって空想の動物竜 の原型になったと推測している[ 26] (竜#中国の竜 も参照)。2022年には中国の青銅器時代 由来とみられる標本からマチカネワニに近縁の大型ワニ類ハンユスクス (Hanyusuchus )(全長約6m)が記載された。文献資料などから当時の中国では害獣として扱われていたと考えられ、標本には人間活動による切断痕が確認されるものもあった[ 27] 。
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トヨタマヒメ - 学名「トヨタマヒメイア・マチカネンシス(Toyotamaphimeia machikanensis )」の由来となった。