人物情報 | |
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生誕 |
1882年7月5日 フランス パリ |
死没 |
1956年3月18日 (73歳没) フランス パリ |
学問 | |
研究分野 | 東洋学・哲学 |
ポール・マッソン-ウルセル(フランス語: Paul Masson-Oursel, 1882年7月5日 - 1956年3月18日)はフランスの東洋学者・哲学者で、「比較哲学」の先駆者として知られる。
1882年、パリ生まれ。リュシアン・レヴィ=ブリュール、アンリ・ベルクソン、エミール・デュルケーム、ピエール・ジャネ、André Lalande、マルセル・モースの教えを受けた。シルヴァン・レヴィ、アルフレッド・フーシェ、エドゥアール・シャヴァンヌ、Clément Huartのもとで、サンスクリット語、チベット語、中国語、アラビア語を学んだ。ソルボンヌに提出した博士論文『比較哲学』(La Philosophie Comparée)は、コント派の実証主義と、ヨーロッパ、インド、中国の哲学の間の「類似性」を特定する比較法を適用しようとしたものであった[1]。マッソン-ウルセルは、「いかなる哲学も、自らを人間の心と同一の広がりを持つものであると主張する権利はない」ので「哲学は、その研究が我々自身の文明の思想に限定されている限り、積極性を達成することはできない」と主張した[2]。これは彼の生きた20世紀初頭の西洋文明がシュペングラーの『西洋の没落』などに代表される自己反省の潮流のなかにあったことを反映している。
1956年、パリで亡くなった。