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名前 | ||||||
カタカナ | マッテオ・セレーニ | |||||
ラテン文字 | Matteo SERENI | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
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生年月日 | 1975年2月11日(50歳) | |||||
出身地 |
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身長 | 186cm | |||||
体重 | 80kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | GK | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1995-2001 |
![]() | 85 | (0) | |||
1997-1998 |
→ ![]() | 34 | (0) | |||
1998-1999 |
→ ![]() | 30 | (0) | |||
2001-2003 |
![]() | 25 | (0) | |||
2002-2003 |
→ ![]() | 23 | (0) | |||
2003-2007 |
![]() | 31 | (0) | |||
2006 |
→ ![]() | 7 | (0) | |||
2007-2010 |
![]() | 89 | (0) | |||
2010-2011 |
![]() | 15 | (0) | |||
代表歴 | ||||||
1995-1997 |
![]() | 4 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2011年6月1日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
マッテオ・セレーニ(Matteo Sereni, 1975年2月11日 - )は、イタリア・エミリア=ロマーニャ州パルマ出身の元サッカー選手、ポジションはGK。
サンプドリアのユース出身。1995年にトップに昇格したが、ジャンルカ・パリュウカと入れ替わりでインテルからやって来たワルテル・ゼンガとアンジェロ・パゴット(Angelo Pagotto)に次ぐ第3GKに留まり出場機会には恵まれず、1997年以降はピアチェンツァ・カルチョやエンポリFCへレンタル移籍し、それぞれのクラブで正GKを務めた。パゴットとゼンガが去った1999年からはポジションを確保し、セリエB降格となったサンプを支えた。ただ、2季連続で5位に終わりセリエA復帰には一歩及ばなかった。
2001年7月1日、イングランドのイプスウィッチへ移籍。初の国外挑戦でなおかつGK唯一の外国人選手として期待されたが、クラブは18位に終わって2部へ降格。2002年7月1日にブレシアへレンタル移籍してイタリアに戻った。ブレシアではルカ・カステラッツィからポジションを奪うと好守を披露してセリエAで10位と健闘し、評価を高めた。
2003年7月1日、ラツィオに移籍。しかし、アンジェロ・ペルッツィの控えとしてベンチ生活が続きラツィオ首脳陣と対立。さらにマルコ・バロッタに控えの座を脅かされることとなり、出場機会を与えられない日々が続いた。2006年1月31日にサミール・ハンダノヴィッチと入れ替わりでトレヴィーゾFCへレンタル移籍するが、半年間で僅かに7試合の出場に終わり、クラブも昇格から1年でセリエBへ降格した。
2007年6月27日、契約満了に伴いトリノFCへ移籍すると復活を遂げ守備陣を支えた。2007-08シーズンは退団したクリスティアン・アッビアーティの代役以上の活躍を見せると、32試合に出場して残留に貢献。ユヴェントスに所属するジャンルイジ・ブッフォンに次ぐGKとしてEURO2008のイタリア代表メンバー選出も噂された。
その後、2008年に入ると活躍を評価されて2011年まで契約を延長。2008-09シーズンも31試合に出場したが、トリノは18位に終わりセリエBへ降格。2部でもレギュラーを務めたが5位に留まり、昇格プレーオフ決勝では3位だった古巣ブレシアに敗れ、1年でのセリエA復帰は叶わなかった。
2010年7月5日、6季ぶりのセリエA昇格を果たしたそのブレシアへ8季ぶりに復帰した[1]。だが、ミケーレ・アルカリ(Michele Arcari)とのポジション争いに敗れて15試合の出場にとどまった。クラブも出足こそ好調だったが、徐々に失速して19位に終わりセリエBに降格した。