マット・ケンゼス | |||||||
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生誕 | Matthew Roy Kenseth 1972年3月10日(52歳) アメリカ合衆国 ウィスコンシン州ケンブリッジ | ||||||
業績 | 2003 NASCAR ウインストンカップ・シリーズ チャンピオン 2004 IROC Champion 2009,2012, デイトナ500 勝者 2000 コカ・コーラ600 勝者 2004 NASCARスプリント・オールスターレース 勝者 2012 ゲータレード・デュエル, 2014 バドワイザー・デュエル 勝者 2015 スプリント・アンリミテッド 勝者 | ||||||
表彰 | 2000 ウインストンカップ・シリーズ ルーキー・オブ・ザ・イヤー | ||||||
モンスターエナジー・NASCARカップ・シリーズでの経歴 | |||||||
20年の間650レース出場 | |||||||
車番-チーム | No.20 ジョー・ギブス・レーシング | ||||||
2017年の順位 | 7位 | ||||||
最高位 | 1位 (2013年) | ||||||
初戦 | 1998 MBNA Gold 400 (ドーバー) | ||||||
初勝利 | 2000 コカ・コーラ600 (シャーロット) | ||||||
最終勝利 | 2017 Can-Am 500 (フェニックス) | ||||||
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NASCARエクスフィニティ・シリーズでの経歴 | |||||||
19年の間288レース出場 | |||||||
車番-チーム | No.20 ジョー・ギブス・レーシング | ||||||
最高位 | 2nd (1998年) | ||||||
初戦 | 1996 Red Dog 300 (シャーロット) | ||||||
初勝利 | 1998 GM Goodwrench Service Plus 200 (ロッキンガム) | ||||||
最終勝利 | 2014 Ford Eco Boost 300 (ホームステッド=マイアミ) | ||||||
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2017年11月19日現在。 |
マシュー・ロイ・"マット"・ケンゼス(Matthew Roy "Matt" Kenseth、1972年3月10日 - )は、アメリカ合衆国ウィスコンシン州ケンブリッジ出身のNASCARドライバー、2009年及び 2012年のデイトナ500優勝者。計算された安定感ある走りが持ち味で、日テレG+の放送では「気が付けばこの男」の異名を持つ。
16歳(1988年)の時にキャリアをスタートさせてから、地元を中心に活躍を続けて関係者らの注目を集めていた。その後1996年にブッシュシリーズに参戦、更に参戦中の1998年には父親の葬儀に参加するビル・エリオットの代理として、NASCAR最高峰クラス、ウインストンカップ・シリーズにデビューを果たした。
カップシリーズへの本格的な参戦は2000年まで待たねばならなかったが、フル参戦初年度のルーキー・オブ・ザ・イヤーをブッシュシリーズ時代の好敵手であったデイル・アーンハート・ジュニアと争って見事獲得。その翌年は未勝利に終わるが、2002年からは現在まで毎年一桁台の年間順位をキープしている。2003年は36戦中25戦でトップ10フィニッシュという抜群の安定感で年間王者を獲得[1]、しかし、年間8勝を挙げたライアン・ニューマンを差し置いて、1勝しかしていない彼がチャンピオンを獲得したことが、チェイス(プレーオフ制度)導入の起点となった。2006年はプレーオフにて一時リードをするが惜しくも年間2位[2]、2007年はプレーオフ序盤に躓いたものの年間4位に食い込んでいる[3]。
2009年シリーズ開幕戦のデイトナ500ではレース中盤ラップリーダー走行中に降雨によりレース中断、そのままレースは終了となり、距離短縮ながらデイトナ500初制覇となった。次戦フォンタナでも「気がつけば」というにふさわしい戦略的な走りで優勝。そのまま前人未踏の開幕3連勝なるかと思われたが、ラスベガスでは2周目にいきなりエンジンブロー。レース途中TVにトレーラーが帰る所を目撃され、気がつけばチームと共に居なくなっていた男というキャッチフレーズ通りの結果に終わった。
2013年、ジョー・ギブス・レーシングに移籍。カーナンバーは20に変更。第3戦ラスベガスを初めとしてキャリア最多の年間7勝を挙げるものの、最終戦ホームステッド=マイアミではチームメイトのデニー・ハムリンにトップを奪われ2位に終わり、ジミー・ジョンソンの6度目のシリーズチャンピオン獲得を許してしまった[4]。
2017年7月11日、ケンゼスの所属ずるジョー・ギブス・レーシングは、2018年シーズンよりエリック・ジョーンズがケンゼスの乗車する20号車で参戦することを発表[5][6]。これによりケンゼスはジョー・ギブス・レーシングから離脱することが確定した。この年は未勝利でプレーオフ進出をするものの、ラウンドオブ8進出は果たせなかったが、第35戦フェニックスで勝利を飾る[7]。2017年は年間1勝、トップ5フィニッシュ10回、トップ10フィニッシュ18回、最終順位7位で終えた[8]。
移籍先が決まらぬまま2018年を迎えることとなったが、2018年4月25日、ラウシュ・フェンウェイ・レーシングはケンゼスのカップ戦復帰を発表した[9][10]。
年 | チーム | No. | 車両 | 出場 | 勝利 | T5 | T10 | PP | Led/Laps | 順位 | 出典 |
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1998 | ラウシュ・レーシング | 60 | フォード | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 / 0 | 57位 | [11] |
エリオット=マリーノ・レーシング | 94 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 / 400 | ||||
1999 | ジョー・ギブス・レーシング | 18 | ポンティアック | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 / 0 | 49位 | [12] |
ラウシュ・レーシング | 17 | フォード | 4 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 / 1358 | |||
2000 | 34 | 1 | 4 | 11 | 0 | 162 / 9466 | 14位 | [13] | |||
2001 | 36 | 0 | 4 | 9 | 0 | 100 / 10341 | 13位 | [14] | |||
2002 | 36 | 5 | 11 | 19 | 1 | 693 / 10303 | 8位 | [15] | |||
2003 | 36 | 1 | 11 | 25 | 0 | 354 / 10350 | 1位 | [16] | |||
2004 | 36 | 2 | 8 | 16 | 0 | 477 / 10279 | 8位 | [17] | |||
2005 | 36 | 1 | 12 | 17 | 2 | 1001 / 10183 | 7位 | [18] | |||
2006 | 36 | 4 | 15 | 21 | 0 | 1132 / 10600 | 2位 | [19] | |||
2007 | ラウシュ・フェンウェイ・レーシング | 36 | 2 | 13 | 22 | 0 | 912 / 10309 | 4位 | [20] | ||
2008 | 36 | 0 | 9 | 20 | 0 | 604 / 10322 | 11位 | [21] | |||
2009 | 36 | 2 | 7 | 12 | 1 | 245 / 10070 | 14位 | [22] | |||
2010 | 36 | 0 | 6 | 15 | 0 | 108 / 10770 | 5位 | [23] | |||
2011 | 36 | 3 | 12 | 20 | 3 | 875 / 10421 | 4位 | [24] | |||
2012 | 36 | 3 | 13 | 19 | 1 | 480 / 10367 | 7位 | [25] | |||
2013 | ジョー・ギブス・レーシング | 20 | トヨタ | 36 | 7 | 12 | 20 | 3 | 1783 / 10141 | 2位 | [26] |
2014 | 36 | 0 | 13 | 22 | 2 | 529 / 10343 | 7位 | [27] | |||
2015 | 36 | 5 | 12 | 20 | 4 | 927 / 9267 | 15位 | [28] | |||
2016 | 36 | 2 | 8 | 19 | 1 | 948 / 10197 | 5位 | [29] | |||
2017 | 36 | 1 | 10 | 18 | 2 | 421 / 10113 | 7位 | [30] | |||
2018 | ラウシュ・フェンウェイ・レーシング | 6 | フォード | 15 | 0 | 0 | 2 | 0 | 5 / 4162 | 32位 | [31] |
通算(21年間) | 665 | 39 | 181 | 329 | 20 | 11756 / 189762 |