マテオ・セレッソ Mateo Cerezo | |
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マテオ・セレッソの静物画 | |
生誕 |
1620年代生まれ(1637年4月19日が洗礼日) スペイン、ブルゴス |
死没 |
1666年6月29日 スペイン、マドリード |
マテオ・セレッソ(Mateo Cerezo, el Joven、1620年代生まれ(1637年4月19日が洗礼日)- 1666年6月29日)はスペインの画家である。宗教画や静物画を描いた。父親の画家、マテオ・セレッソ・ムニョス(Mateo Cerezo Muñozまたは Mateo Cerezo el Viejo)[1] と区別するために「el Joven(若年の方)」を付けて呼ばれることがある。
スペイン北部、カスティーリャ・イ・レオン州のブルゴスで生まれた。父親は画家で、母親の実家はブルゴスの有名な金細工師の家系だった。父親から絵を学び、アントニオ・パロミーノの著作によれば、15歳の時にマドリードの画家、フアン・カレーニョ・デ・ミランダの弟子になり、その数年後の1645年にはカレーニョの仕事を手伝ったとされる[2] 。静物画も描いたアントニオ・デ・ペレーダ(Antonio de Pereda)にも学んだ可能性も指摘されている。1656年から1659年の間は、ブルゴスとバリャドリッドの両方で働き、1660年からにマドリードに定住した。
1666年に40歳ほどで亡くなったため、残されている作品は少ないが、マドリードのプラド美術館やブルゴス美術館などに作品は収蔵されている。