Stewart's MS9 at Donington | |||||||||||
カテゴリー | F1 | ||||||||||
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コンストラクター | マトラ | ||||||||||
デザイナー |
ジェラール・ドゥカルージュ ベルナール・ボイヤー | ||||||||||
先代 | MS7 | ||||||||||
後継 | MS10 | ||||||||||
主要諸元[1] | |||||||||||
シャシー | アルミニウム製モノコック. | ||||||||||
エンジン | フォード-コスワース DFV 2,993 cc (182.6 cu in) V8 NA ミッドエンジン | ||||||||||
トランスミッション | ヒューランド 5速 | ||||||||||
重量 | 540 kg (1,190.5 lb) | ||||||||||
燃料 | エルフ | ||||||||||
タイヤ | ダンロップ | ||||||||||
主要成績 | |||||||||||
チーム | マトラ・インターナショナル | ||||||||||
ドライバー | ジャッキー・スチュワート | ||||||||||
コンストラクターズタイトル | 0 | ||||||||||
ドライバーズタイトル | 0 | ||||||||||
初戦 | 1968年南アフリカグランプリ | ||||||||||
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マトラ・MS9 (Matra MS9) は、マトラが製作したフォーミュラ1カー。1968年のF1世界選手権に投入された。
1968年南アフリカグランプリにジャッキー・スチュワートのドライブで出場したが[2]、その後はマトラ・MS10に取って代わられた。MS9は予選を3位で通過したが、決勝はコネクティングロッドのトラブルでリタイアとなった[1]。
フォーミュラ2で成功した後、マトラは自社製V型12気筒エンジンを搭載したマシンでフォーミュラ1への参戦を計画した。しかしながら、マトラのフォーミュラ2チームを運営していたケン・ティレルは、コスワース DFVを搭載したマシンを製作するようマトラを説得した。このコンセプトに従い、F2マシンのマトラ・MS7がDFVを搭載できるように改修され、サスペンションコンポーネントはマトラのグループ6レーシングカーから流用された[3]。
MS9は開発車としての役割にもかかわらず、MS10の準備が整っていなかったことから1968年南アフリカグランプリに投入された。マシンは下塗りコートの淡いグリーンのままであったが、ジャッキー・スチュワートはその性能に満足し、予選はジム・クラーク、グラハム・ヒルのロータス・49に次ぐ3位となった。キャラミの気温は冷却問題を引き起こし、車のノーズコーンは広げられ、空気の流れを改善した。追加のラジエターも車体後部に取り付けられた。決勝ではスタートでスチュワートはロータスを打ち負かしたが、すぐにクラークに追い抜かれ、その後ヒルにも追い抜かれた。レースの半分を終えた直後、コネクティングロッドが破損しエンジン側面を突き抜け、MS9はレースとそのキャリアを終えた[4]。
(key) (太字はポールポジション、斜体はファステストラップ)
年 | チーム | エンジン | タイヤ | ドライバー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | ポイント | 順位 |
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1968年 | マトラ・インターナショナル | フォード コスワース DFV 3.0 V8 |
D | RSA |
ESP |
MON |
BEL |
NED |
FRA |
GBR |
GER |
ITA |
CAN |
USA |
MEX |
451 | 3位 | |
ジャッキー・スチュワート | Ret |