マヌエル・ヴァリュス・イ・グリナ | |
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マヌエル・ヴァリュスの楽譜への署名 | |
基本情報 | |
生誕 |
1920年7月21日![]() |
死没 |
1984年9月9日(64歳没)![]() |
学歴 |
リセウ高等音楽院 バルセロナ大学 |
ジャンル | オペラ |
職業 |
作曲家 音楽教師 音楽評論家 音楽研究家 |
担当楽器 |
ピアノ ギター フルート |
共同作業者 |
ジュゼップ・マリア・アズピナス ジャウマ・ピカス・イ・グイウ |
マヌエル・ヴァリュス・イ・グリナ(Manuel Valls i Gorina、1920年7月21日 - 1984年9月9日)は、スペイン・バルセロナ県バダロナ出身の作曲家・音楽教師・カタルーニャ音楽評論家[1]。
バルセロナ大学で法律を学び、リセウ高等音楽院ではバスク地方出身の作曲家・オルガン奏者・著作家のアイタ・ドノスティアから、調律・交響楽・作曲技術を教えられた。独自性と審美眼を持って腕を磨き、あらゆるジャンルの楽曲を作り、バルセロナ大学とアドリアー・グアル演劇芸術学校で教鞭をとった。
また彼はバルセロナ、マドリード、サンタンデール、リェイダ、トレド、グラノリェースなどイベリア半島各地で講演を行った。1971年にはパリのフランス放送協会(ORTF)のドラマ、「風のバラ」(La rose des vents)劇中のスペイン系音楽を監修した。カタルーニャ音楽学会のメンバー、カタルーニャ文化評議会の音楽分野の責任者、オムニウム・クルトゥラル(公共文化諮問委員会)のメンバーなどにも名を連ねた。メディア業界では、地元カタルーニャと外国のメディアで音楽批評の記事を執筆。エル・パイス紙カタルーニャ州版の音楽批評も行った。墓地はムンジュイックにある。彼の生前の活動に関する記録と財産はカタルーニャの図書館に保存されている。
画家のチャビエル・ヴァルス・ズビラーの従兄弟である[2]。
彼の音楽活動で最も有名なのは、ジュゼップ・マリア・アズピナスとジャウマ・ピカス・イ・グイウの作詞で作られた「カン・ダル・バルサ」(Cant del Barça)である。この曲はFCバルセロナの賛歌(アンセム)として1974年から使用され続けており、カタルーニャ社会を代表する対外的シンボルとなっている[3]。1966年の「路上の声」という彼の名義のディスクにバルセロナの青年ミュージカル団による、人気曲「ひげ剃りとカット25セント」のインストゥルメンタル版が収録されている[4]。
ヴァリュスは主に雑誌・新聞で音楽評論を行い、多数の音楽批評本を出版している。