マリー・イザベル・ガブリエル・アンジェリーク・ド・ラ・モート=ウーダンクール(Marie Isabelle Gabrielle Angélique de La Mothe-Houdancourt, duchesse de La Ferté-Senneterre, 1654年 - 1726年)は、ブルボン朝時代フランスの宮廷女官で、王家のガヴァネス(在任1709年 - 1710年)を務めた。
陸軍元帥・カタルーニャ副王を務めたカルドヌ公爵フィリップ・ド・ラ・モート=ウーダンクールと、その妻で王家のガヴァネスとしてルイ14世王を養育したトゥシ女侯爵ルイーズ・ド・プリーの間の3人の娘のうちの三女として生まれた[1]。
1675年ラ・フェルテ=サンネテール公爵アンリ=フランソワ・ド・サン=ネクテールと結婚し、間に2人の娘、フランソワーズ=シャルロット・ド・サン=ネクテール(1679年 - 1745年、ラ・カルト侯爵夫人、作曲家・チェンバリスト)と、マリー=アンジェリーク・ド・サン=ネクテール(1676年 - 1713年、レヴィ=ミルポワ侯爵夫人)をもうけた[2]。結婚に伴いラ・フェルテ=サンネテール公爵夫人となった[3]。
母の後継として王家のガヴァネスに補任され、1709年から1710年まで務めた。ルイ14世の最年長の孫ブルゴーニュ公の子供たちの養育の責任者であった。1710年、姉のヴァンタドゥール公爵夫人に交替した。
1709年母の死に伴いモンプポン城を相続、城はさらに娘のラ・カルト侯爵夫人に受け継がれたが、1763年孫によってトリスタン侯爵家に売却された。