マルコ・コルテッリーニ(Marco Coltellini、1724年5月24日[注 1] - 1777年11月)はイタリアの詩人。とくにオペラのリブレット作家として知られる。
コルテッリーニはリヴォルノで生まれ、はじめカトリックの聖職者としての道を歩んだが、後に聖職から離れて結婚している[2]。
1750年代の終わりから主にカンタータやメロドラマの作詞家として活動し、また1762年にはリヴォルノの印刷所を買収して出版活動も行った[2]。1761年にリヴォルノで初演された『アルメリア』(Armeria、ジャン・フランチェスコ・デ・マヨ作曲)以降、主にリブレット作家として活動した[2]。
代表作に1763年にウィーンで初演された『タウリスのイフィジェニア』(Ifigenia in Tauride、トラエッタ作曲)があり[3][4]、この作品が成功したことからウィーン宮廷に招かれ、メタスタージオの後継者の宮廷詩人の地位を得た[2]。コルテッリーニは約10年間にわたってウィーンで働き、この時期の作品に『テレマコ』(Telemaco, ossia L'isola di Circe、1765年初演、グルック作曲)、『アモーレとプシケ』(Amore e Psiche、1767年初演、ガスマン作曲)、『みてくれのばか娘』(La finta semplice、1769年初演、モーツァルト作曲)、『アルミーダ』(Armida、1766-1767年ごろジュゼッペ・スカルラッティ作曲。1771年にサリエリも作曲[5])などがある[2]。ウィーン時代のコルテッリーニはラニエーリ・デ・カルツァビージの影響が強く、オペラ改革の一角を担った[2]。オペラ・ブッファに関してはしばしばカルロ・ゴルドーニ作品を改作している[2]。
1772年からコルテッリーニはサンクトペテルブルク宮廷に移り、改革派オペラ『アンティゴナ』(Antigona、トラエッタ作曲)を書いた[6][注 2][注 3]。1777年の『ルチンダとアルミドーロ』(Lucinda ed Armidoro、パイジェッロ作曲)が最後の作品となった[2]。
1777年にサンクトペテルブルクで没した。ボナヴェントゥーラ (it:Arnaldo Bonaventura) はエカテリーナ2世を諷刺したために毒殺されたという説を述べているが、モーゼル (Robert-Aloys Mooser) はこの説を批判している[2]。