しかし、メキシコ革命中ビリャ率いる北部軍が敗北し、政敵として身を追われる立場になり、1914年にヨーロッパに渡り、スペインの週刊誌”España”への記事の寄稿を始める。メキシコの問題や制約に対する彼の意見をまとめた”La querella de México”が彼の最初の出版となる。1916年から1920年まではアメリカで亡命生活を送る。彼はそれまでの功績からスペインで知識人として認められていたため、週刊誌”España”を代表して短期間ではあるものの、ミネソタ大学のコースで教鞭を取った。1917年からニューヨークでスペイン語の雑誌である”El Gráfico"を監修し、また、”Universal”という雑誌ともコラボレーションする。彼がそれらの雑誌に出版した記事で、1920年に彼の2番目の本である”A orillas del Hudson.”を出版した[3]。
1920年に一時的にメキシコに戻った後はジャーナリストとして活動を続け、1922年には夕刊"El Mundo"を創刊。当時の外務大臣であった、アルベルト・J・パーニの個人秘書に任命され政界復帰を果たす。しかし、当時の政権を握っていたアルバロ・オブレゴン大統領との方針と彼の方針が度々衝突していた。1923年、彼が支援していたアドルフォ・デ・ラ・ウエルタがオブレゴン政権に対して革命宣言し内戦に発展した結果、デ・ラ・ウェルタ側が鎮圧されたため、彼もデ・ラ・ウェルタとともに追放され、1924年から1936年まで再びスペインのマドリードで10年以上の亡命生活を余儀無くされる。亡命先のマドリードで彼は”El Sol"と”La Voz”を監修しながら、執筆活動を続け、”El águila y la serpiente”(1928)を出版。
メキシコの国家的アイデンティティの真髄を反映し革命活動家の性格にも影響を及ぼしたとされる”El águila y la serpiente”(1928)や1920年代のメキシコの政治的混乱を描いた”La sombra del caudillo”(1929)のほか”Mina el mozo, héroe de Navarra” (1932)”Muertes históricas” (1958)”Crónicas de mi destierro”(1963)などが彼の代表作に挙げられる[6]。
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