マルディヤント Mardiyanto | |
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生年月日 | 1946年11月21日(78歳) |
出生地 | インドネシア、中部ジャワ州、スラカルタ |
出身校 | 国立陸軍士官学校 |
前職 | 軍人 |
現職 | 政治家 |
所属政党 | 闘争民主党(1998年 ‐ 2004年) |
称号 | 少将 |
在任期間 | 2007年8月29日 - 2009年10月20日 |
大統領 | スシロ・バンバン・ユドヨノ |
中部ジャワ州第12代知事 | |
在任期間 | 1998年8月24日 - 2007年9月28日 |
大統領 |
ユスフ・ハビビ アブドゥルラフマン・ワヒド メガワティ・スティアワティ・スカルノプトゥリ スシロ・バンバン・ユドヨノ |
マルディヤント(インドネシア語: Mardiyanto、1946年11月21日 - )は、インドネシアの政治家、元軍人。同国第26代内務大臣、中部ジャワ州第12代知事を務めた。
1946年11月21日にインドネシア、中部ジャワ州、スラカルタにて誕生する。ジョグジャカルタ高校で教育を受け、1965年卒業。 5年後、アカブリ・ダラト・マゲラン陸軍士官学校を卒業。1970年に国立陸軍士官学校を卒業し、1993年から1995年まで、マルディヤントは陸軍士官学校の戦術科のリーダーを、1997年から1998年までディポネゴロ師団司令官を務める。1998年から2003年にかけて中部ジャワ州知事を務め、2003年から2008年にかけては、まだ立法府によって行われていた選挙をめぐり、所属政党の支持を得た自身と当時の中部ジャワ地方議会議長マルディジョとの間で論争が起こる中、再選された[1][2]。2002年から2005年まで、マルディヤントはBPD中央ジャワ銀行の頭取も務めた。彼の指導の下、中部ジャワ・グレート・モスクが建設され、2007年にスシロ・バンバン・ユドヨノ大統領によって落成式が執り行われた。ハリ・サバルノ内務大臣を巻き込んだ消防車調達汚職事件に関して、汚職撲滅委員会から事情聴取を受けた役人の一人である[3]。2007年8月28日、マルディヤントはユドヨノ大統領によって、モハマッド・マアルフの後任として第26代内務大臣に任命され、2009年10月20日まで務めた。