ババレイ・ダッドリー | |
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プロフィール | |
リングネーム |
ババレイ・ダッドリー ブリー・レイ ブラザー・レイ ババ・レイ・ダッドリー |
本名 | マーク・ロモナコ |
身長 | 191cm |
体重 | 130kg |
誕生日 | 1971年7月14日(53歳) |
出身地 |
アメリカ合衆国 ニューヨーク州 クイーンズ区 |
トレーナー |
ソニー・ブレイズ ジョニー・ロッズ |
デビュー | 1991年 |
マーク・ロモナコ(Mark LoMonaco、1971年7月14日 - )は、アメリカ合衆国のプロレスラー。ニューヨーク州出身[1]。
ECWおよびWWE時代のリングネーム、ババ・レイ・ダッドリー(Bubba Ray Dudley)での活動で知られる。TNAを主戦場に、ブラザー・レイ(Brother Ray)、ブリー・レイ(Bully Ray)のリングネームでも活動。
1991年にプロレスデビューを飾る。1990年代中盤、ECWにギミック上の異母兄弟チーム、ダッドリー・ボーイズの5男、ババ・レイ・ダッドリーとして登場した。
1996年4月13日に、ギミック上の異母弟であるディーボン・ダッドリーがデビュー。両者は行動をともにするようになり、そしてチーム3Dを結成した。ハードコアマッチ、特にテーブルマッチを得意とし、ディーボン共々テーブル破壊が代名詞となっていった。
1999年、弟のディーボンと共にWWF(現:WWE)へ移籍。当初はヒールであったが、人気の高まりと共にベビーフェイスとなっていった。WWFでもECW時代と同様にテーブルマッチなどのハードコア・レスリングを得意としていた。
2001年のWCW/ECW連合軍(アライアンス)結成時は、元ECWということもありアライアンスに参加した。
2002年のWWFのテレビ番組分割時は、ババレイはRAW、ディーボンはスマックダウンへと別れることとなった。なお同年中にディーボンがRAWに移籍してタッグは再結成されている。WWE時代に兄弟が別れていたのはこの期間のみである。
2005年7月5日にWWEから解雇された。この際、ダッドリー関連の名称は登録商標の関係で一切使えなくなり、以降現在のリングネームであるブラザー・レイ、またはババ・レイとして活動することとなった。ロモナコ自身はダッドリーの名前をWWEから取り戻したいと語っている。
WWE解雇後、TNAに移籍。また全日本プロレスにも参戦して世界最強タッグ決定リーグ戦で優勝している。2006年にはハッスルへ参戦するなど、日本での登場機会が増えた。
2009年1月4日、レッスルキングダムIII IN 東京ドームでブラザー・ディーボンとともに真壁刀義&矢野通からIWGPタッグ王座を奪取。2月15日、New Japan ISM両国国技館大会にて真壁&矢野のリターンマッチをハードコア戦で制し初防衛に成功した。同年3月、TNAオーランド大会でビアマネーからTNA世界タッグ王座を奪取した。
2010年、長年タッグを組んでいた相方であるディーボンと初の抗争を開始。リングネームをブリー・レイに変更。
2012年の冬頃からハルク・ホーガンの娘のブルック・ホーガンと交際を開始。2013年3月に結婚式をリングで挙げるがエイシズ・アンド・エイツのメンバーに襲われる。
2013年3月10日、LockDown 2013にてジェフ・ハーディーからTNA世界ヘビー級王座を獲得した。この試合にはエイシズ・アンド・エイツの介入があり、ブリーはこれを機に裏切りを果たす。ブルックの交際もTNA世界ヘビー級王座を挑戦する為とホーガン一家やTNAを陥れる為の計画であった。ディクシー・カーターとMVPとの間で権利者を賭けての抗争の際カーター軍に付いていたが、試合中に突如裏切りMVP側に加担し、勝利に導いた。これを機にベビーターンを果たす。 以後、ディクシー・カーター一家と抗争する。抗争する中で、ディクシーをテーブル葬することを狙うが、ことごとく失敗に終わっていたが、8月7日放送のインパクトにて、ついにディクシーをテーブル葬に成功した。その後、ウルブズ、ハーディーズとのタッグ王座をめぐる試合をした。それ以降、しばらく登場していない。
2015年1月25日、WWE・ロイヤルランブルでサプライズ枠として久々に登場。ディーボンは出場しなかったものの、ディーボンの代わりに偶然リングで出くわしたRトゥルースとザ・ミズに3Dを浴びせ観客を湧かせた。7月頃からTNAのGMとして復帰。度々、マッチメークをする為に登場したりした。8月放送のインパクトにて何者かに襲われる。8月24日、WWE・RAWにディーボンとダッドリー・ボーイズとして復帰。しかし、2016年8月に退団を表明する。10月、HOG(House of Glory)に参戦するも、12月にディーボンが引退を表明し、チームは解散した[2]。 2017年、ROHに参戦したが、10月に自身も引退を表明した[3]。 2018年、WWE殿堂に迎えられた。
2018年2月に引退したものの、4月にはROHマットで早くも現役復帰。12月14日のPPVイベント、ファイナルバトルでフリップ・ゴードンに"I Quit"マッチで敗戦。
2019年5月11日、ROHグランドラピッズ大会における10人タッグマッチにおいて、遠征中の永田裕志、小島聡、後藤洋央紀らと対戦[4]。