ミゲル・ピニェラ | |
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(2006年) | |
基本情報 | |
生誕 | 1954年10月15日(70歳) |
出身地 | チリ サンティアゴ |
職業 | 歌手、実業家 |
活動期間 | 1982年 - 現在 |
ホセ・ミゲル・ピニェラ・エチェニケ(西: José Miguel Piñera Echenique)、通称ネグロ・ピニェラ(Negro Piñera、1954年10月15日 - )は、チリ、サンティアゴ出身のセレブリティ、ナイトクラブオーナー、アマチュアミュージシャンである。
90年代から多くのコメディアンにモノマネされており、現在もチリのショービジネスとナイトクラブ産業での有名人である。同国大統領のセバスティアン・ピニェラと経済学者のホセ・ピニェラと兄弟関係にある。
1954年、ホセ・ピニェラ・カルバージョとマグダレナ・ロザスの5番目の子供として生まれた。兄弟にグアダルペ、ホセ、セバスティアン、パブロとマリア・テレサ"マグダレナ"がいる。アストゥリアス[1]、バスク系[2]である。青春期はチリの大使だった父親の仕事の都合で、ベルギーとニューヨーク市に住んでいた。
15歳の時にエレクトリックギターを貰い、音楽に興味を持った。1982年に、デビュー・アルバム『Fusión Latina』を発表し、収録曲『La Luna Llena(日: まんげつ)』が大ヒットした。1983年にビニャ・デル・マール音楽祭に出演。
1980年代に実業家としての活動を開始。色々なナイトクラブを経営し、90年代後半に歌手でかつての友人であるミゲーロと開いた「Entre Negros」が特に有名になった。
2002年、アルゼンチンのモデル、ベレーン・イダルゴと結婚。7年後の2011年秋に結婚生活に確執が生じ離婚。
2005年、歌手コンテスト「Rojo Vip」に参加し、2010年にアルゼンチンのダンス番組「Bailando Por un Sueño」にも出場。