ミシガンステート・スパルタンズ Michigan State Spartans | |
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大学 | ミシガン州立大学 |
カンファレンス | ビッグ・テン・カンファレンス |
NCAA | ディビジョンI (FBS) |
体育局長 | アラン・ハーラー[1][2] |
所在地 | ミシガン州イーストランシング市 |
チーム数 | 23 |
フットボール場 | スパルタン・スタジアム |
バスケットボール アリーナ | ブレスリン・ステューデント・イベントセンター |
野球場 | ジョン・H・コブスフィールドのドレイトン・マクレイン・ベースボールスタジアム |
マスコット | スパルティ |
応援歌 | MSUの勝利を |
ウェブサイト | msuspartans |
ミシガンステート・スパルタンズ (英語: Michigan State Spartans[正式名 1], 略称; MSU)は、ミシガン州立大学のスポーツ競技チームである。同校のスポーツプログラムには、23の代表チームで構成され、マスコットはスパルタの戦士「スパルティ」で、スクールカラーは緑と白。フットボールはNCAAディビジョンI、FBSに所属している。ビッグ・テン・カンファレンスの加盟校であり、男子11種目、女子12種目の競技が行われている[3]。
MSUのフットボールチームは1951年、1952年、1955年、1957年、1965年、1966年の6回のナショナル・チャンピオンシップを制覇、1954年、1956年、1988年、2014年にはローズボウルも制覇している[4]。男子バスケットボールチームは1979年と2000年にNCAAトーナメントを制覇[4]。MSU男子アイスホッケーチームは1966年、1986年、2007年に全米タイトルを獲得している[4]。
1925年にミシガン州立農業応用科学大学と改称し[5]、農業学校のチームとしてアギーズと呼ばれていた。ミシガン州は農業のルーツから脱却するために、新しいニックネームを決めるコンテストを開催した。チーム名は「ミシガン・ステーターズ」に決定していたがランシング・ステート・ジャーナル紙のスポーツライター、ジョージ・S・アルダートンは、この名称はあまりにも煩雑だと考え、より英雄的な名称を名付けるために再び応募書類に目を通し、その後、「スパルタンズ」に決定した[6]。
ローズボウル[7] | ||||
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1954 | ミシガンステート | 28 | UCLA | 20 |
1956 | ミシガンステート | 17 | UCLA | 14 |
1966 | UCLA | 14 | ミシガンステート | 12 |
1988 | ミシガンステート | 20 | USC | 17 |
2014 | ミシガンステート | 24 | スタンフォード | 20 |
大学の規模が大きくなるにつれて、主要な大学カンファレンスに加盟することを検討した。1946年、シカゴ大学がフットボール部を廃止し、西部カンファレンス(現在のビッグ・テン)から撤退すると、ミシガン州立大学のジョン・A・ハンナ総長は、その後釜に座るよう働きかけた。ミシガン大学は反対したが、1949年5月20日にビッグ・テンはMSCを加入させることに承認した[8]。カンファレンスに加入後、フットボールのヘッドコーチであるクラレンス・マンのもと、1953-54シーズンにローズボウルに出場し、UCLAを28-20で下した[9]。その後、後任のダフィ・ドハティヘッドコーチは、チームを2度目のローズボウルに導き、17-14でUCLAに再び勝利した[10]。
男子スポーツ | 女子スポーツ |
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ベースボール | バスケットボール |
バスケットボール | クロスカントリー |
クロスカントリー | フィールドホッケー |
フットボール | ゴルフ |
ゴルフ | 体操競技 |
アイスホッケー | ボート競技 |
サッカー | サッカー |
テニス | ソフトボール |
陸上競技† | テニス |
レスリング | 陸上競技† |
バレーボール | |
† – 陸上競技は、屋内と屋外両方が含れる。 |
ミシガン州立大学には、NCAAディビジョンI-Aの21チームがあり、男子は10チーム、女子は11チームの代表スポーツチームが存在する。フェンシング以外はビッグ・テン・カンファレンスに加盟している。
1884年に創部。NCAA選手権に5度出場、うち1954年にカレッジ・ワールドシリーズに出場、3位となっている。カンファレンス・チャンピオンシップ4回、ミシガン州大学間でのタイトルも5回制覇している。
野球殿堂入りしたロビン・ロバーツ、1954年のカレッジ・ワールドシリーズ最優秀選手のトム・ユーチッチ、カーク・ギブソン、ディック・ラダーツ、ロン・ペラノスキー、スティーブ・ガービー、リック・ミラー、マーク・マルダーをMLBに輩出している。
バスケットボール永久欠番 | ||||
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番号 | 選手 | 年 | ||
4 | スコット・スカイルズ | 1982–1986 | ||
12 | マティーン・クリーブス | 1996–2000 | ||
21 | スティーブ・スミス | 1987–1991 | ||
23 | ドレイモンド・グリーン | 2008–2012 | ||
24 | ジョニー・グリーン | 1955–1958 | ||
24 | ショーン・レスパート | 1991–1995 | ||
31 | ジェイ・ビンセント | 1978–1981 | ||
32 | グレッグ・ケルサー | 1976–1979 | ||
33 | マジック・ジョンソン | 1977–1979 | ||
42 | モリス・ピーターソン | 1995–2000 | ||
コーチ | ジャド・ヒースコート | 1976–1995 |
ミシガン州立大学の男子バスケットボールチームは、カレッジバスケットボール界において全米屈指の強豪として知られ、1979年と2000年に2回の全米選手権を制覇している[11]。1979年にマジック・ジョンソンは[12]、グレッグ・ケルサー[13]、ジェイ・ヴィンセント[14]、マイク・ブルコヴィッチとともに、ラリー・バード率いるインディアナステート・シスコアーズに75-64で勝利し、優勝を成し遂げた。2000年は地元ミシガン州フリント出身のモリス・ピーターソン[15]、チャーリー・ベル[16]、マティーン・クリーブス[17]の3選手を中心に、2度目の全米タイトルを獲得した。「フリントストーン」の愛称で呼ばれた彼らは、スパルタンズがフロリダ・ゲイターズに89-76で勝利する原動力となった[18]。2008-09シーズン、スパルタンズは男子バスケットボールにおいて同カンファレンスの他校を圧倒しカンファレンスのシーズンチャンピオンの座に就く。その後、NCAAトーナメントにも出場し、決勝まで進み、対戦相手は歴史的にも実力的にも常に全米バスケットボール界の王者であり続けるノースカロライナ・ターヒールズとなり、スパルタンズにとってはホームであるミシガン州内のデトロイト・フォードフィールドでの試合であったが、ターヒールズの気迫そして怒涛のオフェンスに呑まれ序盤、中盤と圧倒される。後半におよそ10点差まで詰め寄るものの決定的な反撃のチャンスをつかめず、89-72で敗北。2000年以来の3度目の全米制覇には一歩届かなかった[19]。
1995年以来トム・イゾーがヘッドコーチを務めており、2019年4月5日までの成績は606勝231敗である[20]。
ミシガン州立大学はこれまでに2度の全米選手権制覇、15回のビッグ・テン・カンファレンスのシーズンチャンピオン、6回のビッグ・テン・トーナメントで優勝している。また、NCAAチャンピオンシップに3回、ファイナル・フォーに10回、エリート・エイトに14回、スウィート・シックスに20回出場し、NCAAトーナメントには30回出場している[21]。
主な出身選手として、ケビン・ウィリス、ジョニー・グリーン、ドレイモンド・グリーン、ジャレン・ジャクソン・ジュニア、ラルフ・シンプソン、ゼイビア・ティルマン、アンドリュー・ネイミック、ゲイリー・ハリス、デンゼル・バレンタイン、ブリン・フォーブス、シャノン・ブラウン、マイルズ・ブリッジズ、ザック・ランドルフ、ジェイソン・リチャードソン、エラゼン・ローベック、ロビン・ロバーツなどが挙げられる。
カレッジフットボールでは、過去に5度ナショナル・チャンピオンになっている。ホームスタジアムは、7万人を越える観客を収容できるスパルタン・スタジアム。
ミシガン州立大学は、NCAAナショナルチームのタイトルを20回獲得している[22]。
以下はNCAAから授与されなかった10個のナショナルチームタイトルである[23]。