ミッキー・バーノン

ミッキー・バーノン
Mickey Vernon
ワシントン・セネターズでの監督時代(1963年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ペンシルベニア州マーカスフック英語版
生年月日 1918年4月22日
没年月日 (2008-09-24) 2008年9月24日(90歳没)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
170 lb =約77.1 kg
選手情報
投球・打席 投左打
ポジション 一塁手
プロ入り 1937年
初出場 1939年7月8日
最終出場 1960年9月27日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督歴

ミッキー・バーノンJames Barton Vernon , 1918年4月22日 - 2008年9月24日)はアメリカ合衆国ペンシルベニア州マーカスフック英語版出身の元プロ野球選手一塁手)、元プロ野球監督。左投左打。MLBでの20年の現役生活のうち13年半をワシントン・セネターズで活躍した。

経歴

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1937年シーズン前にワシントン・セネターズと契約し、1939年7月8日に21歳でメジャーデビュー。第二次世界大戦の従軍のため、1944年から1945年にかけて出場することはなかった。

1946年、打率.353を記録し、2位のテッド・ウィリアムズを1分1厘上回って、初の首位打者のタイトルを獲得。また、リーグ最多の51二塁打を記録し、オールスターゲームに初めて選出され、ルディ・ヨーク英語版を抑えて先発出場した。1953年、自己最高となる101得点・205安打・115打点を記録。打率は.337を記録し2度目の首位打者のタイトルを獲得し、アル・ローゼンの打率を1厘差で上回り、ローゼンの三冠王を阻止した。MVP投票ではローゼン、ヨギ・ベラに次ぐ3位であった[1]

ホーム球場のグリフィス・スタジアムで行われたニューヨーク・ヤンキースとの1954年開幕戦で、バーノンは延長10回にサヨナラ本塁打を放ち、5対3でチームの勝利に貢献。試合を観戦していたドワイト・D・アイゼンハワー大統領はバーノンがお気に入りの選手で[2]、試合後に握手を交わした[3]

現役最終年の1960年ピッツバーグ・パイレーツで9試合に出場したが、9月30日に解雇された。パイレーツはワールドシリーズでヤンキースを4勝3敗で破り、ワールドチャンピオンとなり、バーノンはコーチとしてその一員になった[4]

引退翌年の1961年からは第2次セネターズ(現在のテキサス・レンジャーズ)の初代監督に就任し、3年間指揮を執った。

詳細情報

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年度別打撃成績 (MLB)

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O
P
S
1939 WS2 76 310 276 23 71 15 4 1 97 30 1 1 9 24 0 28 5 .257 .317 .351 .668
1940 5 19 19 0 3 0 0 0 3 0 0 0 0 0 0 3 1 .158 .158 .158 .316
1941 138 581 531 73 159 27 11 9 235 93 9 3 7 43 0 51 12 .299 .352 .443 .794
1942 151 685 621 76 168 34 6 9 241 86 25 6 2 59 3 63 8 .271 .337 .388 .725
1943 145 638 553 89 148 29 8 7 214 70 24 8 8 67 10 55 10 .268 .357 .387 .744
1946 148 637 587 88 207 51 8 8 298 85 14 10 2 49 0 64 12 .353 .403 .508 .910
1947 154 652 600 77 159 29 12 7 233 85 12 12 3 49 0 42 12 .265 .320 .388 .709
1948 150 619 558 78 135 27 7 3 185 48 15 11 6 54 1 43 17 .242 .310 .332 .641
1949 CLE 153 659 584 72 170 27 4 18 259 83 9 7 15 58 2 51 8 .291 .357 .443 .801
1950 28 105 90 8 17 0 0 0 17 10 2 0 3 12 0 10 0 .189 .284 .189 .473
WS2 90 384 327 47 100 17 3 9 150 65 6 1 3 50 4 29 3 .306 .404 .459 .863
'50計 118 489 417 55 117 17 3 9 167 75 8 1 6 62 4 39 3 .281 .379 .400 .779
1951 141 604 546 69 160 30 7 9 231 87 7 6 1 53 2 45 11 .293 .358 .423 .781
1952 154 664 569 71 143 33 9 10 224 80 7 7 5 89 0 66 11 .251 .353 .394 .746
1953 152 679 608 101 205 43 11 15 315 115 4 6 4 63 4 57 15 .337 .403 .518 .921
1954 151 674 597 90 173 33 14 20 294 97 1 4 4 6 61 5 61 10 .290 .357 .492 .850
1955 150 627 538 74 162 23 8 14 243 85 0 4 4 8 74 9 3 50 17 .301 .384 .452 .835
1956 BOS 119 471 403 67 125 28 4 15 206 84 1 0 2 2 57 6 7 40 12 .310 .403 .511 .914
1957 102 318 270 36 65 18 1 7 106 38 0 0 1 1 41 2 5 35 9 .241 .350 .393 .743
1958 CLE 119 404 355 49 104 22 3 8 156 55 0 4 1 2 44 3 2 56 8 .293 .372 .439 .812
1959 MLN 74 99 91 8 20 4 0 3 33 14 0 0 0 0 7 1 1 20 2 .220 .283 .363 .645
1960 PIT 9 9 8 0 1 0 0 0 1 1 0 0 0 0 1 1 0 0 0 .125 .222 .125 .347
通算:20年 2409 9838 8731 1196 2495 490 120 172 3741 1311 137 90 80 19 955 22 49 869 183 .286 .359 .428 .787

年度別監督成績

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年度 球団 地区 年齢 試合 勝利 敗戦 勝率 順位/チーム数 備考
1961 WSH AL 43 161 61 100 .379 9 / 10
1962 44 161 60 101 .373 10 / 10
1963 45 40 14 26 .350 10 / 10 途中解任
通算:3年 362 135 227 .373

タイトル・表彰・記録

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背番号

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  • 34 (1939年 - 1940年)
  • 29 (1941年)
  • 5 (1942年 - 1943年)
  • 4 (1946年 - 1948年)
  • 3 (1949年 - 1950年途中、1951年途中 - 1955年、1961年 - 1963年)
  • 44 (1950年途中 - 1951年途中)
  • 6 (1956年 - 1957年)
  • 8 (1958年)
  • 15 (1959年)
  • 42 (1960年)

関連項目

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長く在籍したセネターズで同時期に在籍した主なチームメート

脚注

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  1. ^ 1953 Awards Voting”. Baseball-Reference.com. 2020年4月29日閲覧。
  2. ^ Marazzi, Rich. “The Ballplayers - Mickey Vernon” (英語). BaseballLibrary.com. 2008年9月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年7月11日閲覧。
  3. ^ Heller, Dick (September 26, 2008). “One final memorial for Mount Vernon” (英語). The Washington Times. 2010年7月11日閲覧。
  4. ^ Sargent, Jim (August 2001). “Lost In The Crowd First Baseman Mickey Vernon ranked among best players during Golden Era”. Baseball Digest (United States: Lakeside Publishing Co) 60 (8): pp. 70 - 77. ISSN 0005-609X. https://books.google.co.jp/books?id=ESsDAAAAMBAJ&pg=PA70#v=onepage&q&f=false 2010年7月11日閲覧。. 

外部リンク

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