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![]() ミツカンビル(愛知県半田市) | |
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
![]() 〒475-8585 愛知県半田市中村町二丁目6番地 北緯34度53分34.7秒 東経136度56分4.2秒 / 北緯34.892972度 東経136.934500度座標: 北緯34度53分34.7秒 東経136度56分4.2秒 / 北緯34.892972度 東経136.934500度 |
設立 | 1804年(文化元年) |
業種 | 食料品 |
法人番号 | 1180001091920 |
事業内容 | ミツカングループ全体の経営統括・戦略策定・研究開発 |
代表者 |
代表取締役会長 中埜美和(ミツカングループ代表兼グループCEO)[1] 代表取締役社長 中埜裕子(ミツカングループ副CEO)[1] |
資本金 | 1000万円(2022年2月28日現在)[2] |
売上高 | 105億9600万円(2022年2月期)[2] |
営業利益 | 26億4900万円(2022年2月期)[2] |
経常利益 | 33億2100万円(2022年2月期)[2] |
純利益 | 24億0000万円(2022年2月期)[2] |
純資産 |
132億8000万円 (2022年2月28日現在)[2] |
総資産 |
3141億0600万円 (2022年2月28日現在)[2] |
従業員数 | 約3800名(ミツカングループとして) |
決算期 | 2月末日 |
主要子会社 | 株式会社Mizkan 他 |
関係する人物 | 初代 中野又左衛門 |
外部リンク | https://www.mizkanholdings.com/ja/ |
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
![]() 〒475-8585 愛知県半田市中村町二丁目6番地 |
業種 | 食料品 |
法人番号 | 7120001149272 |
事業内容 | 家庭用/業務用 調味料・加工食品、納豆の製造販売 |
代表者 | 代表取締役 吉永智征[3] |
資本金 | 3億3000万円(2022年2月28日現在)[3] |
売上高 | 1175億1400万円(2022年2月期)[3] |
営業利益 | 143億5300万円(2022年2月期)[3] |
経常利益 | 153億6200万円(2022年2月期)[3] |
純利益 | 109億7200万円(2022年2月期)[3] |
純資産 |
1029億8900万円 (2022年2月28日現在)[3] |
総資産 |
1271億0700万円 (2022年2月28日現在)[3] |
決算期 | 2月末日 |
主要株主 | 株式会社Mizkan Holdings |
外部リンク | https://www.mizkan.co.jp/ |
株式会社Mizkan(ミツカン)は、調味料と納豆を主力製品とする株式会社Mizkan Holdings(ミツカンホールディングス・非上場)傘下の大手食品メーカー(事業子会社)である。資産管理部門の株式会社中埜酢店などと「ミツカングループ」を形成している。愛知県半田市中村町二丁目6番地に本社を置く。
江戸時代中期の1804年(文化元年)、中野又左衛門により尾張国知多郡半田村(現在の愛知県半田市)で酒造業として創業。以後、1923年(大正12年)に株式会社化する。連結売上高は1千億円を超えるが株式非上場企業であり、中埜家による同族経営が維持されている。
当地では日本酒の製造が盛んであった。酒造後に残る酒粕を用いて酢を作り、これは米を用いた酢より安価であったため、江戸時代の庶民の間に寿司が普及する要因となった。
1887年(明治20年)、三本線に丸をつけたロゴ「三ツ環(ミツカン)マーク」[注釈 1]を商標登録。
大正時代には、敷島製パン創業にも参画した。
1986年(昭和61年)には、日本唯一の酢の総合博物館として博物館「酢の里」(後のMIZKAN MUSEUM)を開館した。日本における醸造酢のシェアは高い。
第二次大戦後、加工・チルド食品に参入し、1964年(昭和39年)に瓶詰めの味付けポン酢の元祖となる「ミツカン味ぽん」、1982年(昭和57年)に混ぜ込みふりかけの「おむすび山」、1988年(昭和63年)にめんつゆ(後年「追いがつおつゆ」へ改称)を発売。
1997年(平成9年)に朝日食品工業を買収し、納豆の製造・販売に参入する[注釈 2]。酢の発酵技術を使用した納豆の「金のつぶ」シリーズは、首位のタカノフーズ「おかめ納豆」に次ぐシェアを占めた。2009年(平成21年)には、経営破綻したくめ・クオリティ・プロダクツの主力商品である「くめ納豆」の商品販売権等を買収し、ミツカンを通じて販売される。2011年(平成23年)には、長野県の旭松食品株式会社から「なっとういち」ブランドの納豆事業を引き継いだ。納豆菌の保有数も日本一である[9]。
清酒「国盛」を展開している中埜酒造は、かつてはミツカングループに属していた。直接の資本関係はないものの、若干の人事交流や一部業務については協力している。なお、中埜家は同郷の盛田家とかつて人的関係があり、一時期ソニーの大株主に名を連ねていた。
家庭用の寿司酢はミツカンブランドが世界的に有名で、どこの国のスーパーマーケットでも入手することができる[10]。
1998年(平成10年)にそれまで「株式会社中埜酢店」を中心として構成されていたミツカングループを、戦略策定・海外事業統括を行う「株式会社ミツカングループ本社」とその傘下にぶら下がる事業カンパニー・機能カンパニー群に再編し、中埜酢店はグループ本社傘下の資産管理会社となっている。
創業200年を迎えた2004年(平成16年)6月、CI(コーポレートアイデンティティ)およびグループビジョンを導入。英文社名がMitsukanからmizkanへ、標準的なロゴタイプが「(≡マーク)ミツカン」から「(≡マーク)mizkan」に変更された[11]。また広告では、コピーライターの岩崎俊一による“やがて、いのちに変わるもの。”というコーポレート・メッセージが併記されている。ロゴデザインは細川デザイン事務所によるものである。
2014年(平成26年)3月1日、グループ統括会社の株式会社ミツカングループ本社が商号を英字表記の「株式会社Mizkan Holdings」(ミツカンホールディングス)に変更した[11]。Mizkan Holdingsは商標の管理も行っているため、テレビCMの最後には「○○は、(株)Mizkan Holdingsの登録商標です」の文言が入っている[注釈 3]。
2017年(平成29年)3月1日、株式会社Mizkan Sanmi、株式会社Mizkan、株式会社Mizkan Sanmi-pro、株式会社ミツカンフレシアの4社を統合。存続法人となる株式会社Mizkan Sanmiの社名を株式会社Mizkanに変更[12]。
ミツカン水の文化センターを有し、山林の育成やビオトープの開設などの環境活動も行っている。
創業家の中埜家の当主は、代々「中埜又左衛門」を襲名する習わしであった。
氏名 | 就任日 | 退任日 | 備考 |
---|---|---|---|
中埜酢店(1923年創業) | |||
中埜又左衛門幸造 | 1923年 | 1952年 | |
中埜又左エ門政一 | 1952年 | 1998年 | 6代中埜幸造の長男。 |
ミツカングループ本社 | |||
中埜又左エ門政一 | 1998年 | 2002年 | |
中埜和英 | 2002年 | 2014年2月28日 | 7代中埜政一の長男。 |
ミツカンホールディングス | |||
中埜和英 | 2014年3月1日[13] | 2014年5月15日 | |
長谷川研治 | 2014年5月16日[14] | 2016年5月23日[15] | 1985年中埜酢店入社[16]。 |
(不在) | 2016年5月24日 | 2021年5月23日 | 2021年に中埜裕子が社長に就任するまでの間は5年間不在であった。 |
中埜裕子 | 2021年5月24日[17] | 現職 | 8代中埜和英の長女[18] |
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