ミルスキ(Myrsky;フィンランド語で「嵐」)は、第二次世界大戦中にフィンランドが国立航空機工場(Valtion Lentokonetehdas;VLと略す)において独自開発した戦闘機。
フィンランド軍は1939年から翌年にかけてのソ連との「冬戦争」では英仏など西欧の援助を受けたが、その後ナチス・ドイツと接近し空軍力も独伊の援助を受けるなど、雑多な機種を装備して第二次世界大戦を戦った。戦闘機としてはバッファローの活躍が名高いが、その中で国産機の開発も進めていた。それが本機と、その後継機ピョレミルスキである。
ミルスキは空冷(スウェーデン製ツインワスプ)単発単座低翼、胴体は鋼管骨組に前半を金属、後半を木製外皮とし、翼は木製合板張りの機体で主脚は内側引込式であった。試作型のミルスキ1は降着装置や合板の接着に問題があって4機しか作られず、改良型のミルスキ2は1944年になってようやく完成した。ミルスキ2は47機が生産されたが、対ソ戦には間に合わずソ連との休戦後、国内のドイツ軍を駆逐する「ラップランド戦争」が初陣となった。第二次世界大戦終結時には最終型のミルスキ3が生産に入っていたと伝えられる。
ミルスキには、スウェーデンでライセンス生産する計画もあったが実現しなかった。
(ミルスキ2)