コアモジュール | |
モジュールの詳細 | |
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所属 | ソビエト連邦 |
状態 | 運用終了 |
打ち上げ機 | プロトン8K82K |
ドッキング対象 | 複数 |
機能 | 生活空間 |
打ち上げ日時 | 1986年2月20日 |
ドッキング日 | - |
大気圏再突入日 | 2001年3月23日 |
形式 | DOS型 |
物理的特徴 | |
長さ | 13.13 m |
直径 | 4.15 m |
打ち上げ質量 | 20,400 kg |
与圧区画容積 | 90 m3 |
電力 | |
太陽電池面積 | 98 m2 |
発生電力 | 9,000-10,000 W |
ミール・コアモジュール(ロシア語: Мир)、DOS-7はソ連、後のロシアのミール宇宙ステーションの最初のモジュール。単にミールとも呼ぶが、一般的にはコアモジュールやベースブロックと呼ばれる。1986年の2月20日にバイコヌール宇宙基地200番射点からプロトンKで打ち上げられ、2001年まで地球低軌道に存在した[1][2]。設計はサリュート6号やサリュート7号と多くの類似点があるが、モジュール前方のマルチドッキングノードという革命的な追加点があった。これに加え、船尾方向にもドッキングポートがあり、5台のモジュールが直接コアモジュールに接続することが可能で、これによってステーションの能力を飛躍的に伸ばすことが可能であった[2] 。なお、最終的にクバント1 (1987)、クバント2 (1989)、クリスタル (1990)、スペクトル (1995)、プリローダ (1996)の5台が常設でドッキングしていた。
ミール・コアモジュールは、生活、居住用のモジュールとした設計されており、サリュート6号や7号と比べると科学器具は少なく、たとえば以前のステーションで居住空間を狭めていた大型の光学カメラが取り払われ、その代わりにクルーにはより快適な居住空間が与えられた。その他の変更としては大型の太陽電池パネルや新しい電力システム、大幅な自動化などが見られ、また従来のイグラ(Igla)ドッキングシステムに代わって新しいクルス(Kurs)ドッキングシステムが採用された。
与圧壁は1mm-5mmの厚さのアルミニウム製で、ごみの排出や科学目的に使う小さなエアロックも装備し、外を見るためのいくつかのハッチ付の窓があった[2]。内部はツートンカラーで、照明用の蛍光灯が利用されていた[2]。コアモジュールは無人で打ち上げられ、最初の長期滞在は1986年3月13日にソユーズT-15で打ち上げられたクルー2名によるミールEO-1で行われた[2]。52日後、このクルーはミールを離れてサリュート7号を訪問し、51日間滞在した[2]。その後、再びミールに戻って1986年7月16日に地球に帰還するまで21日間滞在した。このような2機の別の宇宙ステーションの間を行き来した例はこれが最初で唯一の記録である。
ミール・コアモジュール(DOS-7)は以前のサリュート6号、7号を元に設計されているが、大きく違う点も存在している。改良型のコンピュータや太陽電池アレイなどが組み込まれており、2人の宇宙飛行士用の個室も備えるなど快適性も向上している。コアモジュールは6つのドッキングポートを持ち、そのうち4つがノードと呼ばれるモジュール先端のサイコロ状の部分に設置されており、ステーションの拡張に利用でき、バーシングポートと呼ばれた。他の2台のポートは船首と船尾に設けられており、一つはノードの一番先頭に、もうひとつはモジュールの最後尾につけられており、これらはソユーズやプログレスのドッキングに利用するために設計された。コアモジュールは船尾方向に2台のエンジンを持ち、これは軌道制御用に設計された。それぞれのエンジンは300kgの推力を持っていたが、1987年にクバント1が船尾に接続された後は使用は停止された[2]。
コアモジュールの主な役割はステーションの生活空間であった。トイレ、睡眠やプライベート用空間として使う2箇所の個室、映画や音楽といった娯楽設備、運動設備、医療機器などが設置されていた。また、TsUPとの交信のためのテレビスクリーンのある司令センターを持っていた[2]。
1987年6月、クバント1に乗せられて輸送された3枚目の太陽電池パネルをコアモジュールに設置・展開した。これによって太陽光パネルの面積の合計は76m2から98m2に増加した[2]。
1980年代後半ごろには、1992年頃を目処にブランをステーションに到達させ、コアモジュールを新しいものと交換することが計画されており[2]、把持アームでDOS-7モジュールを新しいコアモジュールに交換した後、DOS-7モジュールは地球に持ち帰る予定であった[2]。
コアモジュールは2001年の5月にミール宇宙ステーションを構成した他のモジュールとともに、地上からの制御指令で地球の大気圏に再突入した[1][3]。燃え尽きなかった残骸は南太平洋に落下した[1]。
Mir Hardware Heritage (NASA RP1357, 1995)による[2]。