ムービートーン・ニュース

ムービートーン・カメラ
『ジャズ・シンガー』のチラシ。一番下に『ムービートーン・ニュース』も紹介されている

ムービートーン・ニュース(Movietone News)は、1928年から1963年にかけてアメリカ合衆国で配信されていたニュース映画のこと。

製作はフォックス・フィルムで当初はフォックス・ムービートーン・ニュース(Fox Movietone News)という名前だったが、1935年にフォックス・フィルムが20世紀ピクチャーズと合併し20世紀フォックスになった時に、ムービートーン・ニュースに縮められた。イギリスでもブリティッシュ・ムービートーン・ニュース(British Movietone News)という名前で1929年から1979年まで、オーストラリアでも1925年から1975年にかけて配信された。

歴史

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フォックス・フィルムが1919年から続けていたフォックス・ニュースを発展させたものである。フォックス・ニュースはサイレント映画だったが、1928年の『母ぞよく知る』からフォックス社はトーキー製作を開始、ムービートーン・ニュースもトーキで作られた。"ムービートーン"とは、フォックス社のサウンドシステムのこと。最も古いものは、「ジョージ・バーナード・ショー氏、ムービートーン・ニュースに語る」シリーズで1928年6月25日に配信された。

フォックス社が最初にニュースイベントを録音したのは1927年の5月20日、チャールズ・リンドバーグが大西洋単独無着陸飛行のためルーズベルト・フィールド飛行場を離陸を撮影・録音、その夜のうちにニューヨーク・シアターで上映した。このことがムービートーン・ニュースを作るきっかけとなった。

初期のプロデューサーは、著名な写真家ドディ・ウェストン・トンプソン(1923年 - 2012年)の父でもある、"ハリー"ことエイブラハム・ハリソン。

ナレーターはローウェル・トーマス英語版で1952年まで続けた[1]

ムービートーン・ニュース・オーケストラの指揮者はハリー・ラウダー2世。彼の叔父は著名なボードビリアンのサー・ハリー・ラウダー(1870 - 1950)で、トーキー開発のライバルだったワーナーが有名ボードビリアンを起用してテストをしたことに対抗して、フォックスがイギリスから招いていた[2]

日本での撮影

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1929年(昭和4年)3月、ムービートーン・ニュースの撮影班(撮影技師アルヴィン)が来日し、長崎別府東京で撮影した。東京では3月8日から3日間、田中義一の演説や銀座行進曲、三味線を弾く芸者、株式市場などを撮影・録音した。これが日本初のトーキー撮影だと『東京朝日新聞』は報じている[3]

関連項目

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脚注

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  1. ^ So Long, Until Tomorrow: Lowell Thomas and Hershey”. Hershey Community Archives (2011年5月2日). 2020年2月11日閲覧。
  2. ^ Hollywood As Historian: American Film in a Cultural Context. Univ Pr of Kentucky. (1997). p. 26. ISBN 978-0813109510 
  3. ^ 東京朝日新聞』昭和4年3月8日朝刊第一面

外部リンク

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