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基本情報 | ||||
国籍 | アメリカ合衆国 | |||
出身地 | 同・ミシガン州ミッドランド | |||
生年月日 | 1971年4月28日(53歳) | |||
身長 | 173cm | |||
体重 | 59kg | |||
利き手 | 右 | |||
バックハンド | 両手打ち | |||
ツアー経歴 | ||||
デビュー年 | 1988年 | |||
引退年 | 1998年 | |||
ツアー通算 | 28勝 | |||
シングルス | 3勝 | |||
ダブルス | 25勝 | |||
生涯通算成績 | 385勝182敗 | |||
シングルス | 130勝98敗 | |||
ダブルス | 255勝84敗 | |||
生涯獲得賞金 | 1,448,132 アメリカ合衆国ドル | |||
4大大会最高成績・シングルス | ||||
全豪 | 2回戦(1994) | |||
全仏 | 2回戦(1995) | |||
全英 | ベスト4(1996) | |||
全米 | 2回戦(1993・94) | |||
4大大会最高成績・ダブルス | ||||
全豪 | 準優勝(1994) | |||
全仏 | ベスト4(1996) | |||
全英 | 準優勝(1996) | |||
全米 | ベスト8(1994) | |||
4大大会最高成績・混合ダブルス | ||||
全米 | 優勝(1995) | |||
優勝回数 | 1(米1) | |||
キャリア自己最高ランキング | ||||
シングルス | 18位 | |||
ダブルス | 5位 | |||
メレディス・マグラス(Meredith McGrath, 1971年4月28日 - )は、アメリカ・ミシガン州ミッドランド出身の元女子プロテニス選手。ダブルスの名手として活躍し、1995年の全米オープン混合ダブルス部門で優勝した。女子ダブルスでは1994年全豪オープンと1996年ウィンブルドンで2度の準優勝があり、シングルスでも1996年のウィンブルドンでベスト4に入った。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。WTAツアーでシングルス3勝、ダブルスで25勝を挙げた。
マグラスはジュニア時代からダブルスに優れた才能を発揮し、1987年-1989年まで全米オープンの女子ジュニアダブルス部門「3連覇」を達成した。1987年と1988年はキンバリー・ポーとペアを組んで2連覇し、1989年は当時13歳のジェニファー・カプリアティと組んでウィンブルドンと全米オープンのジュニア女子ダブルスを連続制覇している。1989年ウィンブルドンでは、ジュニア女子シングルスの準優勝もあった。この年から女子ツアー大会のダブルスでも好成績を出し始め、1989年11月第2週の「バージニアスリムズ・オブ・ナッシュビル」大会のダブルスでツアー初優勝を果たす。1990年にはダブルスで年間4勝を挙げ、1991年全仏オープンの女子ダブルスでベテランのキャシー・ジョーダンと組んでベスト8に入ったが、この後相次ぐ故障に悩み、大腿骨関節の手術や肩の腱炎などで長期間の戦線離脱を経験した。
マグラスは1993年、シングルスの世界ランキング610位から復活を果たし、ウィンブルドンで予選3試合を勝ち上がった後、初めての本戦4回戦進出を決めた。ダブルスではパティ・フェンディックと組んで大半の試合に出場し、ダブルスで年間3勝を挙げる。1994年の全豪オープンで、マグラスとフェンディックは初めての決勝に進出し(パートナーのフェンディックは1991年以来3年ぶり2度目)、ジジ・フェルナンデス&ナターシャ・ズベレワ組に 3-6, 1-6 で敗れて準優勝になった。同大会のシングルスでは、マグラスは2回戦で第10シードの伊達公子に敗れている。1994年に女子ツアーでシングルス2勝、ダブルス7勝を挙げたマグラスは、ダブルス世界ランキングで「5位」の自己最高位を記録した。
1995年全米オープンで、メレディス・マグラスはマット・ルセナ(アメリカ)と混合ダブルスのペアを組み、決勝でシリル・スーク(チェコ)&ジジ・フェルナンデス組を 6-4, 6-4 で破って初優勝した。そして、彼女の選手経歴のハイライトとなった1996年ウィンブルドンがやってくる。この大会で、マグラスは女子ダブルスでラリサ・ネーランド(ラトビア)と組んで決勝に進み、シングルスでアランチャ・サンチェス・ビカリオとの準決勝に進出した。女子ダブルス決勝では、マグラスとネーランドはマルチナ・ヒンギス&ヘレナ・スコバ組に 7-5, 5-7, 1-6 で敗れ、ヒンギスは「15歳9ヶ月」で初めてのグランドスラム・タイトルを獲得した。シングルスでは、マグラスは1回戦で日本の遠藤愛に勝ち、2回戦で第14シードのアマンダ・クッツァーを破って波に乗り、準々決勝で同じアメリカのメアリー・ジョー・フェルナンデスを倒した後、初進出の準決勝でサンチェスに 2-6, 1-6 で敗れた。
しかし1997年、マグラスは再び大きな故障を抱え、シングルスは1大会も出場できなかった。最後の4大大会出場となった全豪オープンでは、シングルス・ダブルスとも1回戦敗退に終わり、シングルス1回戦では日本の吉田友佳に敗れている。1998年3月初頭の「オクラホマ・シティ」大会を最後に、メレディス・マグラスは26歳で現役を引退した。