メンズウェア(MenswearもしくはMenswe@r)は、イギリスのロックバンド。
1994年結成。デビュー前にしてメディアから「ブリットポップ期待の大型新人バンド」として、大きく取り上げられるというハイプ現象を巻き起こした。またメンバーの端正なルックスも影響して、とりわけ日本では本国イギリス以上に人気が加熱した。しかしブリットポップの終焉に比例するように急速に人気が下降していき、1998年に早くも解散。今では「ブリットポップの徒花」としてその名を残しており、ブリットポップの負の側面を象徴する存在として語られることも少なくない。
1996年にマットが脱退し、以下の二人が加入した。
1994年、ロンドンにて結成。当時はブリットポップ・ムーブメントの真っ只中ということもあって、1995年の初ライヴ時には23社ものレコード会社が集結した。しかしそのライヴの出来があまりにひどかったため、ほとんどのレコード会社からは見放されたものの、バンドの将来性を見込んだロンドン・レコードと総額75万ポンド(当時の日本円換算で1億円超)で契約を結ぶという幸運なスタートを切る[1]。
デビューシングルすらリリースしないうちに音楽誌の表紙を飾り、トップ・オブ・ザ・ポップスにも出演するなどして一躍世間の注目を集め、限定5000枚でリリースされたデビューシングル「マネイジ・サムハウ」は、数時間で完売した。その後も代表曲「デイドリーマー」、「スターダスト」といったシングルをヒットチャートに送り込み、同年発表の1stアルバム『ニューサンス』では、ブラーやパルプ、エラスティカらに通じるニューウェイブサウンドを聴かせた。またアルバム発売後にシングルカットされた「ビーイング・ブレイヴ」は、全英チャートのトップテン入りを果たした。
ちなみにメンバーのルックスの良さもあって、当時日本では女性ファンを中心に人気を集めていた。『rockin'on』を始めとした様々な音楽雑誌の表紙を飾ったうえに、読者投票では軒並みスーパーグラスらを押さえ最優秀新人に選ばれた[2]。また日本のビールのCMソング「アイム・フーチ」を書き下ろしたりと、日本ではブリットポップの象徴的存在だったといえる。
しかし徐々にメディアからは「ハイプ」「見かけだけで中身のないバンド」などと非難の嵐を受けるようになっていき、徐々にメンズウェアは失速していく。1996年に「髪形ばかり気にするドラマーとは一緒にやっていけない」と言う不可解な理由でマットの脱退(クビ)を発表。そして新メンバーの加入を経た直後のシングル「ウィ・ラヴ・ユー」発表後、セカンドアルバムを録音したものの、その出来に満足できなかったロンドン・レコードから契約を解除されてしまう。
1998年に、3年ぶりとなる2ndアルバム『アイ・ティエンポ』を発表。前作とはかけ離れた落ち着いたカントリーロック路線のアルバムに仕上がっていたが、本国では契約先が見つからなかったため、結局日本のみでリリースされた。しかしその日本でもあまり売れなかった。ほどなくしてメンズウェアは解散となった。
2005年3月号のロッキング・オンにおいて、元メンバーのサイモン・ホワイトがインタビューに応じている。それによると、メンズウェア解散後に、10万ポンドで再結成ライヴをやらないかという話が持ちかけられ、サイモンがメンバー全員をディナー・パーティに招待したものの、ある者は既にひどく酒に酔っており、またある者は体調が悪くて何も食べられず、残りの2人は最初から最後まで言い争いするなど散々なもので、結局は実現しなかったという。
また、ジ・オーディナリー・ボーイズのメンバーから「メンズウェアのファンだったんです」と言われ握手を求められたり、自身がマネージャーを務めていたブロック・パーティのケリーからは「僕がはじめて行ったライヴはメンズウェアのライヴで……」と打ち明けられたという。
2013年、フロントマンのジョニー・ディーンはJohnny Dean and The Nuis@nce Band名義で、6月に英自閉症協会支援のための、8月にはPMA Sport's Academy支援のためのチャリティーギグを行った(ディーンは2008年にアスペルガー症候群の診断を受けており、二次障害の鬱に長年悩まされているとインタビューで語っている)。 それをきっかけに、ジョニーはこの時のライブメンバーとMenswearとして活動を再開(オリジナルメンバーはジョニーのみ)、シングルリリースや散発的にライブを行った後、再び活動を停止。
2020年、アルバム『ニューサンス』発売25周年を記念し、アナログ盤や幻の『アイ・ティエンポ』の再発、キャリアを総括したボックスセットの発売等が予定されている。
以下の順位は全て全英チャートによる