メーベル・プライド Mabel Pryde | |
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ウィリアム・オーペンによって描かれたメーベル・プライド夫妻と子供たち | |
生誕 |
1871年2月12日 エディンバラ |
死没 |
1918年7月 ロンドン |
メーベル・プライド(Mabel Scott Lauder Pryde、 1871年2月12日 – 1918年7月)はスコットランドの画家。画家のウィリアム・ニコルソンの配偶者である。結婚後も画家として活動し、家族や子供たちを描いた作品を制作した。
エディンバラで生まれた。父親のデーヴィッド・プライド(David Pryde: 1834–1907)は、1870年から1891年の間、エディンバラ女性学校(Edinburgh Ladies College)の校長を務めた人物で、母親のバーバラ・ローダー(Barbara Lauder)は画家のロバート・スコット・ローダーやジェームズ・エクフォード・ローダーの姪であった。兄に画家、イラストレーターになったジェームズ・プライド(1866–1941)がいる[1] 。
ハートフォードシャーに、画家、イラストレーターのフーベルト・フォン・ヘルコマーの設立した美術学校(Bushey School of Art)でヘルコマーに学んだ[1][2]。この美術学校でウィリアム・ニコルソンと知り合い、1893年に結婚した。夫に兄のジェームズ・プライドを紹介し、兄と夫は商業美術の分野で1899年まで共作を続けた[3]。
結婚後もロンドンのグループ展に出展を続け、1912年にはロンドンの画廊(Chenil Gallery)で個展も開いた。
4人の子供が生まれ、長男のベン・ニコルソン(1894-1982)は画家になった。次男のアンソニー(Anthony Nicholson: 1897–1918)は第一次世界大戦で戦死した。1909年から一家はブライトン・アンド・ホヴのロッティンディーンに住んだ[1]。
1918年にメーベル・プライドはスペインかぜで亡くなった[4]。47歳であった。ブライトの作品は、テート・ギャラリーやスコットランド・ナショナル・ギャラリーに収蔵されている。