モスクヴィッチ-2104「アレコ」 | |
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![]() M-2141S「アレコ」 | |
概要 | |
別名 | ラーダ・アレコ(輸出名) |
製造国 |
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ボディ | |
ボディタイプ | 5ドアハッチバック |
駆動方式 | フロントエンジン・前輪駆動 |
パワートレイン | |
エンジン |
ガソリン: 1.5L UZAM-331.10 直列4気筒 1.6L VAZ-2106-70 直列4気筒 1.7L VAZ-21213-70 直列4気筒 1.7L UZAM-3317 直列4気筒 1.8L UZAM-3318 直列4気筒 2.0L ルノー・F3R 直列4気筒 ディーゼル: 1.8L フォード・XLD418 直列4気筒 1.9L プジョー・XUD9 直列4気筒 |
変速機 | 5速マニュアルトランスミッション#MT |
車両寸法 | |
ホイールベース | 2,580mm |
全長 | 4,350mm |
全幅 | 1,690mm |
全高 | 1,400mm |
車両重量 | 1,070kg - 1080kg |
系譜 | |
先代 | モスクヴィッチ-2140 |
後継 | モスクヴィッチ-2142 |
モスクヴィッチ-2141(通称:アレコ、ロシア語:АЛЕКО )は、ロシアの自動車メーカー、モスクヴィッチにより1986年から1997年にかけて販売された中型乗用車である。
1985年に発表され、ロシアおよびソビエト連邦で販売された。1997年から2002年頃に近代化改良されたM-2141-02スヴャトゴールおよびそのセダンモデルであるM-2142が後継車種となる。
アレコは、従来のモスクヴィッチ車を大幅改良したモデルで、後輪駆動でリアリンクソリッドアクスル式サスペンションを採用するハッチバック。エンジンや一部装備を除き、従来のモスクヴィッチ車と共通する箇所は無い。
前輪駆動、マクファーソンストラット式フロントサスペンション、トーションビーム式リアサスペンションといった革新的な方式を採用。ステアリング・ホイールはラック・アンド・ピニオン式で、ステアリングコラムは折りたたみ式を採用。スペアタイヤはトランクの下部に装備。ホイールベースは約20センチメートル、全幅は14センチメートル延長され、ホイールサイズは1インチ拡大された。
従来のモスクヴィッチ車より室内空間を広く取り、より快適性、安全性が向上した。空気抵抗係数は0.35としている[1]。
M-2141の開発開始前、モスクヴィッチの技術者らは後輪駆動の新型車の開発に取り組み、試作目前の段階まで進行していた。しかし、自動車産業大臣が未完成のプロジェクトの作業をすべて中断し、大臣が好んでいたフランスのシムカ・1307同様の前輪駆動の新型車を開発するよう要求。この要求は開発費の削減には貢献したものの、技術者やデザイナーにとっては侮辱的であった[2]。デザイナーのイーゴ・ザイツェフは「失望した同僚たちを新規プロジェクトに参加させるのに、1カ月以上かかった」と述べた[2]。
しかし、デザイナーは既存の車種をコピーすることは侮辱的で屈辱的と考え、新規のパワートレインとシャシには、従来とは異なるボディシェルが必要であり、2台ボディタイプこそ類似していたものの、M-2141に採用されたフランス車と共通の部品は、ルーフの一部とウインドウフィルムの形状のみだった[3]。
モスクヴィッチのチーフデザイナーであったユーリ・トカチェンコが1992年に述べたように、シムカ・1307とM-2141の相違点は多数あり、従来のエンジンは横置きするには大型だったため、ルノー・20/30やアウディ・80/100のように縦置きされた。
アレコは当時のソビエト連邦の自動車産業にとっては画期的なモデルであった。ソビエト連邦初の前輪駆動のハッチバックとなる予定だったが、モスクヴィッチが生産体制を整えるため2年遅れ、ラーダ・サマーラが先に登場した。M-2141はラーダ・サマーラよりスタイリッシュなデザインだったが、1991年のソビエト連邦の崩壊、経済危機、不祥事、業務混乱により、1990年代に部品の品質が低下し、市場での評判を落とした。それでもなお、パッシブセーフティの高さ、構造の堅牢さ、オフロード性の高さ、修理の簡易さなどが評価された。
2001年、新型のエアバッグとプリテンショナー付シートベルトを備えていないM-2141は、ロシアの新規安全評価プログラム、ARCAPが実施したテストで4つ星中0つ星を獲得。なお、レビュアーは「20年前の車にしては、優秀な結果だ」と述べた。ステアリングコラムとAピラーは、シトロエン・エグザンティアやアウディ・A4初期型より小型だった[4][5]。
1991年以前にも、モスクヴィッチのデザイナーは、四輪駆動のM-21416SEや、1990年に初公開したステアリングホイールと自動車用電子計器クラスターを装備したM-2141のセダンモデルを製作したが[6]、ソビエト連邦の崩壊により、これらはいずれも量産はされなかった。モスクヴィッチはM-2141用に、より強力な新世代の4気筒ガソリン/ディーゼルエンジンを設計し、テストも行ったが、エンジンの生産工場の建設が中断され、再開されずに計画は終了した。
アレコは主に国内市場で販売されたが、1980年代後半には輸出も開始された。フランスやドイツなどの一部の市場では、ラーダ・アレコとして宣伝され、標準のガソリンエンジンに加えてフォード製とインデノール製のディーゼルエンジンもラインナップされた。
イギリス・ダゲナムで製造されたフォード製のディーゼルエンジンは、1991年9月にモスクヴィッチの生産ラインで生産開始された。モスクヴィッチはソ連にエンジンの生産工場を建設する交渉を行ったが、ハード・カレンシーの不足により計画は頓挫となった。また、アレコは1980年代後半に短期間、ブルガリアでもライセンス生産されていた。
最終型のモスクヴィッチ車には、スヴャトゴール(M-214122、M-214100、M-214145)と改名されたアレコの改良型やフェイスリフトモデルも存在した。ホイールベースを20センチメートル延長したユーリー・ドルゴルーキー(1997年-2002年、キエフ大公にちなんで命名された)も、少数ながら製造された。M-2141をベースとしながらも、2世代が製造された。初代は専用の長方形のヘッドランプを採用。2代目はフロント周辺にフェイスリフトが施された。