| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
2014年のナビドキア | ||||||
名前 | ||||||
本名 | モハッラム・ナヴィードキヤー | |||||
ラテン文字 | Moharram Navidkia | |||||
ペルシア文字 | محرم نویدکیا | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | イラン | |||||
生年月日 | 1982年11月1日(42歳) | |||||
出身地 | エスファハーン | |||||
身長 | 182cm | |||||
体重 | 77kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
利き足 | 両足 | |||||
ユース | ||||||
1996-1998 | セパハン | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
1998-2004 2004-2006 2006 2006-2016 |
セパハン ボーフム → セパハン (loan) セパハン |
106 (18) 10 (0) 11 (3) 174 (24) | ||||
代表歴 | ||||||
2001-2003 2002-2009 |
イラン U-23 イラン |
14 25 (1) (2) | ||||
監督歴 | ||||||
年 | チーム | |||||
2020- | セパハン | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
モハラム・ナビドキア(ペルシア語: محرم نویدکیا, ラテン語: Moharram Navidkia, 1982年11月1日- )は、イラン・エスファハーン出身の元同国代表の元サッカー選手、サッカー指導者。
キャリアの中で連続で負傷したことから、トップフォームを取り戻すのに苦労した[1][2][3]。
イラン代表としてはU-23時代にキャプテンを務め、A代表では2009年12月に代表引退するまで25試合に出場した[4]。弟のラソール・ナヴィードキヤーもサッカー選手として活動している[5]。
地元のセパハンFCの下部組織でキャリアを始めた。2002-03シーズンにリーグ初優勝し、自身はまだ若手ながらリーグの最優秀選手に選ばれたことから、イラン人選手の中で最高の選手の1人と認識された。
若手ながら潜在的な才能を認められ、負傷していたにもかかわらずVfLボーフム[6]と契約を結んだ。しかし、移籍後も怪我の影響から以前のフォームを取り戻すことが出来ず、2006年にセパハンへローンで戻った[7]。2006 FIFAワールドカップ後にセパハンに完全移籍し、再び契約を結んだ。その後も度重なる怪我に苦しみながらも、2009-10からは徐々にコンディション保ちリーグ優勝に貢献。以降は安定したシーズンを過ごし、リーグ3連覇に貢献した。
シリアで行われた西アジアサッカー選手権2002の期間中にイラン代表に招集され、8月のヨルダン戦でデビューを果たした。また、U-23代表として同年の2002年アジア競技大会におけるサッカー競技に参加、金メダル獲得に貢献した。2006 FIFAワールドカップ・アジア予選でも招集された。
2006 FIFAワールドカップは当初予備メンバーだったものの、サッタール・ザーレが負傷したことで本大会のメンバー入りを果たした[8][9]。2009年12月に代表を引退した[4]。2011年5月にカルロス・ケイロス監督に招集されたが、"いくつかの負傷と手術"から代表とクラブ両方でプレー出来なくなったため断った[10]。
イラン代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
2002 | 6 | 0 |
2003 | 8 | 1 |
2004 | 2 | 0 |
2005 | 6 | 0 |
2006 | 1 | 0 |
通算 | 23 | 1 |