モラーヌ・ソルニエ L
モラーヌ・ソルニエ L(Morane-Saulnier L)は、第一次世界大戦当時のフランスのパラソル翼飛行機。本機はプロペラ回転面を通して銃弾を射撃できるように中心線に固定銃を装備されたことで、戦闘機の思想を生んだ[1]。
単座または複座であり、機関銃1挺を前方に向けて装備した。この装備方法には、銃の前方に位置するプロペラに楔型の装甲を施して防護することで、プロペラ回転面を通して銃弾を発射できるという特色があった。
第一次世界大戦の勃発にともない、フランス空軍は「MS.3」の名で多数のモラーヌ・ソルニエ Lの生産を命じた。Lの生産機数は全体でおよそ600機にのぼり、フランス空軍の他にイギリス陸軍航空隊、同海軍航空隊、ロシア帝国軍航空隊でも使用された。
1914年12月、フランス空軍の第23飛行隊に所属していた有名なフランスの飛行士ローラン・ギャロスは、レイモンド・ソルニエと協力して、機関銃を彼のモラーヌ・ソルニエ Lに取り付けることを提案した。ソルニエは断続ギアによる機械式同調の試験を行ったが、結局プロペラブレードを装甲するという単純な解決方法に戻った。ギャロスの整備士はこれを改良して、プロペラブレードの弾道に当たる部分に弾丸をはじくくさびを装着するようにした。ギャロスはこのLを駆って1915年3月に戦闘に参加し、4月には3機のドイツ機を撃墜するという、当時としては特筆すべき戦果を記録した。1915年4月18日、ギャロスはドイツの前線の後方に不時着し、機体を燃やす前に捕虜になった。これによりドイツも同様の戦闘機の開発に着手し、5月の終わりにはフォッカー アインデッカーとして実現した。フォッカー アインデッカーは機銃・プロペラ同調システムを備えて量産された。
1915年7月1日、ドイツのクルト・ヴィントゲンス中尉のフォッカー M.5K/MG(フォッカー単葉機の試作型、機番号E.5/15)がリュネヴィル上空の初めての真の戦闘機戦闘で勝利を挙げたとき、その獲物の1機は皮肉にも複座型のモラーヌ・ソルニエL(M.S.48飛行隊)であった。ヴィントゲンス機はフォッカー「Zentralsteuerung」機関銃同調システムのごく初期の試作品を装備していた。
1915年におよそ50機のモラーヌ・ソルニエ Lが、イギリスの陸軍航空隊に供給されて偵察任務に使用された[2]。またイギリス海軍航空隊でも25機を使用した。1915年6月7日、海軍航空隊第1飛行隊のレジナルド・アレクザンダー・ジョン・ウォーンフォード飛行中尉の操縦する機体がツェッペリンLZ37を迎撃して撃墜した。これは空中でツェッペリンを破壊した初めてのケースであり、ウォーンフォードはこれによりヴィクトリア十字勲章を受けた。[3]
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諸元
性能
武装