ヤコブ・コーンフェール | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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国籍 | チェコ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
現在のチーム | オンガッタ・セントロ・セタ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ゼッケン | 84 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ヤコブ・コーンフェール(Jakub Kornfeil、1993年4月8日 - )は、チェコ・南モラヴィア州ホドニーン郡キヨフ出身のオートバイレーサー。
2001年、8歳の時からモトクロスレースを始めたコーンフェールは、翌2002年には65ccのミニモタードレースのチャンピオンとなった[1]。その後ミニバイクレース、125ccのロードレース国内選手権等を経て、2008年にはロードレース世界選手権のヨーロッパラウンドでのサポートレースであるレッドブルMotoGPルーキーズカップに参戦、年間ランキング9位を記録した[2]。
翌2009年シーズンもルーキーズカップに参戦を継続、コーンフェールは全てのレースを8位以内で完走、最終戦の地元ブルノ・サーキットのレース2でシーズン3勝目を挙げ、ノルウェーのストゥーラ・ファーガーハウグを2ポイント差で逆転してチャンピオンに輝いた[3][4]。
ルーキーズカップの2009年シーズン閉幕後、コーンフェールはロードレース世界選手権125ccクラスにデビューを果たした。アレクシ・マスボーに代わりロンシンチームのレギュラーシートを確保し、小山知良をチームメイトに第13戦サンマリノGP以降の終盤5戦に出場した[5]。マシンのパフォーマンスが低かったこともあり、ベストリザルトは第16戦マレーシアGPでの19位に留まりポイント獲得は果たせなかった。
翌2010年シーズンは小山と共にレーシング・チーム・ジャーマニーに移籍、型落ちのアプリリア・RSW125を駆ることになった[6]。ベテランの小山ほどの活躍は残せなかったが、コーンフェールはウェットレースとなった第10戦・地元チェコGPでベストリザルトとなる5位に入賞、年間ランキングでは17位を記録した。
2011年はオンガッタ・セントロ・セタチームに移籍、引き続きRSW125を駆ってフル参戦2年目のシーズンに臨む。
シーズン | クラス | バイク | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 順位 | ポイント |
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2009年 | 125cc | ロンシン | QAT | JPN | SPA | FRA | ITA | CAT | NED | GER | GBR | CZE | IND | SMR 28 |
POR 25 |
AUS 23 |
MAL 19 |
VAL Ret |
NC | 0 | |
2010年 | 125cc | アプリリア | QAT 19 |
SPA 14 |
FRA 19 |
ITA 17 |
GBR 20 |
NED 15 |
CAT 16 |
GER 17 |
CZE 5 |
IND 14 |
SMR 16 |
ARA 14 |
JPN Ret |
MAL 14 |
AUS 14 |
POR 11 |
VAL 15 |
17位 | 28 |