Yasmin Ahmad ヤスミン・アハマド | |||||||||
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生年月日 | 1958年7月1日 | ||||||||
没年月日 | 2009年7月25日(51歳没) | ||||||||
出生地 | マレーシア ジョホール州 | ||||||||
職業 | 映画監督、脚本家 | ||||||||
ジャンル | 映画、CM | ||||||||
活動期間 | 2003年 - 2009年 | ||||||||
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ヤスミン・アハマド(Yasmin Ahmad、1958年7月1日 - 2009年7月25日[1])は、マレーシアの映画監督、脚本家である。日本語では「ヤスミン・アフマド」と表記されることもある[2]。2000年代のマレーシア・ニューウェイブの中核的存在と言われ[3]、生涯で6本の長編映画を残した[4]。
ジョホール州出身[1]。音楽家の父親と舞台演出家の母親を持つ[1]。母方の祖母は日本人である[5]。幼い頃から映画好きで、黒澤明作品や「座頭市」「寅さん」など日本映画のファンだった[3]。ニューカッスル大学で芸術と心理学を学んだ[1]。帰国後はCMディレクターをつとめ、国営石油会社ペトロナスのCMシリーズで有名になった[3]。
2003年、『ラブン』で長編映画監督デビュー[6]。2005年、『細い目』が東京国際映画祭最優秀アジア映画賞を受賞する[7]。2006年、マレーシア映画祭において『グブラ』が最優秀作品賞と最優秀脚本賞と最優秀女優賞を受賞する[8]。2007年、『ムクシン』がベルリン国際映画祭に出品される[9]。2008年、『ムアラフ 改心』が東京国際映画祭「アジアの風」部門で上映される[10]。
2009年、脳出血により死去[11]。同年に東京国際映画祭で上映された『タレンタイム~優しい歌』が遺作となった[12]。日本人を祖母に持つ自身のルーツを探る日本ロケ作「ワスレナグサ」の制作に着手し、ロケハンを終えた矢先の急逝だった[3]。
小津安二郎とダグラス・サークに影響を受けているが[1]、最大の影響にはチャーリー・チャップリンを挙げている[13]。最も好きな映画には『男はつらいよ』を挙げた[14]。