「ヤー・ブルース」 | ||||||||||
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ビートルズの楽曲 | ||||||||||
収録アルバム | 『ザ・ビートルズ』 | |||||||||
英語名 | Yer Blues | |||||||||
リリース | 1968年11月22日 | |||||||||
録音 |
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ジャンル | ||||||||||
時間 |
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レーベル | アップル・レコード | |||||||||
作詞者 | レノン=マッカートニー | |||||||||
作曲者 | レノン=マッカートニー | |||||||||
プロデュース | ジョージ・マーティン | |||||||||
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「ヤー・ブルース」(Yer Blues)は、ビートルズの楽曲である。1968年に発表された9作目のイギリス盤公式オリジナル・アルバム『ザ・ビートルズ』に収録された。レノン=マッカートニー名義となっているが、ジョン・レノンによって書かれた楽曲[4][5]で、インドのリシケーシュに滞在していた時期に書かれた。本作はイギリスで起こっていたブルース・ムーブメントに対する皮肉を込めた楽曲となっている。
1968年の春、ビートルズのメンバーはインドのリシケーシュを訪れ、マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーのもとで超越瞑想の修行をしていた。この期間には同年に発売されたアルバム『ザ・ビートルズ』に収録された楽曲の大半が書かれていたが、本作もその1曲だった[6]。当時レノンはオノ・ヨーコとの関係に没頭し、当時の妻であるシンシアとの仲を悪化させていた[6]。本作の歌詞は「Yes I'm lonely wanna die(寂しい、死にたい)」というフレーズから始まるが、これについてレノンは「不思議なことに、インドでは何もかもが美しくて、1日8時間も瞑想していたのに、僕はとことんみじめな曲を書いていた。『ヤー・ブルース』で『寂しい、死にたい』と書いたのは冗談じゃなくて、本気でそう思ったんだ。神に近づこうとして、死んでしまいたいと思っていた」と語っている[6]。
歌詞の中では、ボブ・ディランの「やせっぽちのバラッド」に登場する「ミスター・ジョーンズ」、ロバート・ジョンソンの「地獄の猟犬がつきまとう」の3番のヴァースの歌詞を引用して、当時の不安を暗示している。本作はレノンがブルースのパロディとして書いた楽曲で、ジャンプ・ブルースに触発されたギターソロがフィーチャーされている[7]。
1968年頃、イギリスの音楽業界ではブルースが流行し、デビュー以来ロック一辺倒だったバンドまでもがブルースを演奏してひと稼ぎする場合もあった。本作はその状況を逆手に取り、皮肉が込められた楽曲となっている[8]。題名はごく単純なものとなっており、1970年にレノンは「ブルースを歌うとなると、どうしても人目を気にしてしまうところがある。ご多分にもれず僕らも、アート・スクール時代はスリーピー・ジョン・エステスあたりを聴いていた。でもそれを歌うと全然別の話で、僕はそのせいで周りの目が気になった。ポールは『“ヤー・ブルース”なんてタイトルをやめて、もっとわかりやすくするべき』だなんて言っていたけど、僕は周りの目を気にして、『ヤー・ブルース』を選んだ」と語っている[8]。なお、「ヤー(Yer)」は、1960年代のイギリスで使用されていた「あなたの(=Your)」の意を持つスラング[8]。
インドからの帰国後、1968年5月にメンバーはイーシャーにあるジョージ・ハリスンの自宅に集まり、アルバム『ザ・ビートルズ』のセッションに向けてデモ音源をまとめる作業を行った。その中で本作のデモ音源も録音されたが、後のスタジオでのレコーディングまでに、一部のフレーズが書き替えられた[8]。
曲は、リンゴ・スターの「Two, Three」のカウントインから始まる[3]。「ブルース」をタイトルに含んだ楽曲だが、音楽的には標準的なブルースの形式に沿っていない[8]。ヴァースは4分の3拍子で、「Even hate my rock and roll(俺のロックンロールまで疎ましく思える)」というフレーズの後のセクションで、4分の4拍子に切り替わる[8]。
キーはEに設定されているが、「If I ain't dead already(もし俺がまだ死んでいなければ)」から続くセクションではGのコードが使用されている[8]。
「ヤー・ブルース」のレコーディングは、1968年8月13日に開始された。同日のセッションは、EMIレコーディング・スタジオのスタジオ2のコントロール・ルームの隣にある2A号室で行われた[9][8]。2A号室は8×15.5フィートほどの広さで、かつてはテレフンケン製の4トラック・レコーダーが収容されていたが、それがコントロール・ルームに移されてからは、倉庫として使用されていた[8]。空き部屋となったものの、レコーディングのために機材をセッティングすると、動けるスペースはほとんどなく、エンジニアのケン・スコット
1968年にレノンは、2A号室でのレコーディングについて「活動初期の僕らの演奏を聴いていた連中なら、僕らがああいう演奏をしていたのを知っている―ヘヴィ・ロックさ。でも初期のレコードでそれを写し取ろうにも、どうしてもベースが足りなかったし、ギターソロもこっちに迫ってこなかった。それは当時の僕らがレコーディングについて無知だったからだ。このレコードの僕らは、もっと僕たちらしいサウンドだけど、それは人目を気にするのはやめて、活動初期にやっていたようなことをやっているからだ。ただしレコーディングのテクニックについて、もっと詳しくなっているけどね。曲のうちかなりの数は、僕たちの演奏をまんま録ったテイクだ」と語っている[8]。
レコーダーのトラック1にリンゴ・スターのドラム、トラック2にポール・マッカートニーのベース[注釈 1]、トラック3とトラック4にレノンとジョージ・ハリスンのギターが録音された[8]。レノンはガイド・ボーカルを歌っていて、録音はされていなかったが、2A号室にセッティングした別のマイクがかすかに音を拾っていた[8]。マスターにはテイク6が採用されたが、その後も演奏は続けられた[8]。
その後、2本のギターをトラック3にまとめたミックスがテイク16となった[8]。テイク6の冒頭部分は再度コピーされたのち、4トラックのテープを切って、曲の3分17秒に繋がれて、フェード・アウトのインストゥルメンタル・セクションになった[8]。
8月14日にトラック4にレノンとマッカートニーがボーカルを加え、2分25秒目にスネアドラムが追加された[8]。なお、トラック3にはオリジナルのギターソロの上に、音にふらつきを持たせたギターの音が加えられた[8]。
1968年にローリング・ストーンズが制作したテレビ映画『ロックンロール・サーカス』では、「ザ・ダーティー・マック」名義で、レノンとエリック・クラプトン(ギター)、キース・リチャーズ(ベース)、ミッチ・ミッチェル(ドラム)が本作を演奏している[10]。なお、レノンの生演奏は、1966年8月29日のサンフランシスコ公演以来初となった。
※出典[11]