Yusuf Haji Nur يوسف حاجي نور | |
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プントランド大統領(暫定) | |
任期 2001年7月1日 – 2001年11月14日 | |
前任者 | アブドゥラヒ・ユスフ |
後任者 | ジャマ・アリ・ジャマ |
プントランド主席判事 | |
任期 2016年8月16日 – 2019年6月23日 | |
任期 2001年 – 2001年 | |
個人情報 | |
死没 | 2019年6月23日 トルコ |
墓地 | プントランド、ガローウェ |
政党 | 無所属 |
ユスフ・ハジ・ヌル (Yusuf Haji Nur, ソマリ語: Yuusuf Xaaji Nuur) はプントランドの初代最高裁判所主席判事。2001年に初代大統領のアブドゥラヒ・ユスフが任期満了後も大統領職に留まろうとしたため、暫定憲法に基づいて暫定大統領就任を宣言して対立した。この抗争にアブドゥラヒ・ユスフが勝利したため最高裁判所主席判事を退いたが、2016年に再び主席判事となった。2019年死去。
1998年7月にプントランドが建国されると、ユスフ・ハジ・ヌルは最高裁判所主席判事となった[1]。プントランド大統領にはアブドゥラヒ・ユスフが就いた。
アブドゥラヒ・ユスフ大統領は2001年7月1日で任期が切れたが退任を拒否。一方、暫定プントランド憲法では「政府が2001年までに憲法制定と選挙実施に失敗した場合、最高裁判所の主席判事が引き継ぐ」と定められており、最高裁判所主席判事のユスフ・ハジ・ヌルはこれを根拠に7月1日に暫定大統領就任を宣言した[2]。
ガローウェでの武力衝突の恐れが高まったため、ガローウェの長老会議は8月7日の夜にアブドゥラヒ・ユスフにガローウェからの自主退去を要請し、アブドゥラヒ・ユスフは翌8日に武装車両に護送されてガローウェ南部にある地元のガルカイヨに戻った[3]ただしアブドゥラヒ・ユスフはガルカイヨでも「私はいまだにプントランドの大統領である」と言い続けた[4]。以後プントランドは約2年間内戦状態となった[5]。
7月25日[6]、ガローウェの長老会議はユスフ・ハジ・ヌルの大統領代行を承認し、8月31日までに次の大統領を決めることとなった[3]。
2001年9月11日にアメリカ同時多発テロ事件が発生すると、アメリカ政府は全世界のイスラーム過激組織をテロリスト集団と指定していった。ソマリアの過激組織の一つアル・イッティハード・アル・イスラミア(AIAI)も9月24日にテロ組織指定を受けた。直後の10月初旬、ユスフ・ハジ・ヌル大統領代行はIRIN(国連による紛争解決組織)の取材に対して「プントランドにAIAIの軍事キャンプや基地はなく、国際社会がそれを確認するために訪問することを歓迎する」と語った[7]。
2001年11月14日にジャマ・アリ・ジャマが議会選挙でプントランド大統領となり、ユスフ・ハジ・ヌルは退任した。ただし直後の11月21日にアブドゥラヒ・ユスフが武力で政権を奪還して、大統領に復帰した[8]。このクーデターが短期間で終わったため、ユスフ・ハジ・ヌルとジャマ・アリ・ジャマを大統領としては認めずに、アブドゥラヒ・ユスフはプントランド建国から2004年10月に退任するまで一貫して大統領だったとする文献もある。
退任後は弁護士となり、パラリーガル(弁護士補助職)の責任者も務めた[2]。
2016年8月、プントランド大統領のアブディウェリ・モハメド・アリはユスフ・ハジ・ヌルを再びプントランド最高裁判所の主席判事に任命した[9][10]。
2019年2月、プントランド大統領のサイード・アブドゥラヒ・デニは内閣改造を発表し、ユスフ・ハジ・ヌルを引き続き最高裁判所主席判事に任命した[11]。
2019年4月、ユスフ・ハジ・ヌルは治療のためトルコのアンカラを訪問した[12]。しかし2か月後の2019年6月23日[13]にトルコで死去した[14]。