ヨハネス・リンゲルバッハ Johannes Lingelbach | |
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19世紀に書籍の肖像画 | |
生誕 |
1622年10月10日 フランクフルト・アム・マイン |
死没 |
1674年11月3日 (52歳没) アムステルダム |
ヨハネス・リンゲルバッハ(Johannes Lingelbach、1622年10月10日 - 1674年11月3日)[1] は、ドイツ生まれのオランダの画家。ローマで修行した後、アムステルダムで働いた。風俗画や歴史画、「カプリッチョ」(奇想画)と呼ばれる空想的なイタリアの風景画も描いた。
フランクフルトで生まれた。父親は技術者で、家族と1634年にアムステルダムに移った。1642年に、フランス、イタリアへ旅し、ローマでピーテル・ファン・ラール(1592/1599-1642)らによって形成された「バンボッチャンティ(バンボッチオ派)」と呼ばれるネーデルランドの風俗画家たちのグループの中で活動した。1650年5月にローマを離れ、ドイツを旅して、6月にアムステルダムに戻ったと考えられている。
リンゲルバッハの作品には、当時人気のあった風景画家、フィリップス・ワウウェルマン(1619-1668)の影響が見られるとされ[2]、メインデルト・ホッベマ(1638-1709)やヤン・ファン・デル・ヘイデン(1637-1712)、コルネリス・デッケル(c.1619-1678)といった風景画家と共作し、人物や動物を描いたとされる[3]。建築画の分野ではローマで知り合っていたと考えられるヴィヴィアノ・コダッツィ(c.1604-1670)のスタイルの「ヴェドゥータ」(都市景観画)や「カプリッチョ」(奇想画)も描いた。