ヨハン・アンドレアス・アイゼンバルト(Johann Andreas Eisenbarth、1663年3月27日 – 1727年11月11日)は17世紀のドイツの医者である。ドイツの各地をサーカス巡業のような方法で治療旅行し、自家製の薬を売り歩いた。
バイエルン州のオーベルフィーヒタッハ(現シュヴァンドルフ郡)の出身である。祖父も父親も床屋医師で、アイゼンバルトは目の手術や骨折の治療を得意とした。義理の兄弟からも医学の知識を得た。アイゼンバルト博士と呼ばれたが、もちろん博士号を得てはいなかった。アイゼンバルトは、通常120人にも及ぶ芸人や道化師、楽隊とともにドイツの各地を旅した。多くの見物客を集め、楽隊が音楽を奏で、コーラスがアイゼンバルトを称える歌を歌う中で治療を行った。自家製の薬を製造し、大規模に販売した。
1800年頃、"Ich bin der Doktor Eisenbarth" という歌がドイツで流行した。歌詞は以下である。
- „Ich bin der Doktor Eisenbarth,
- widewidewitt, bum bum
- Kurir die Leut nach meiner Art,
- widewidewitt, bum bum
- Kann machen, daß die Blinden gehn,
- Und daß die Lahmen wieder sehn.
- Gloria, Viktoria, widewidewitt juchheirassa!
- Gloria, Viktoria, widewidewitt, bum bum.
- Es hatt einmal ein alter Mann
- widewidewitt, bum bum
- Im Rachen einen hohlen Zahn,
- widewidewitt, bum bum
- Ich schoß ihn raus mit der Pistol,
- Ach Gott, wie ist dem Mann so wohl.
- Gloria, Viktoria…
- Drauf rief mich stracks der große Zar,
- widewidewitt, bum bum
- Er litt schon lang am grauen Star,
- widewidewitt, bum bum
- Ich stach ihm beede Augen aus,
- Jetzt ist der Star wohl auch heraus.
- Gloria, Viktoria…“
邦書では原田恒雄のビールに関するエッセー、『金のジョッキに、銀の泡』で以下のような詞で紹介されている。
「わたしが、ドクター・アイゼンバウト。 パッカパパー・・・!わたしはわたしの流儀で病気をなおす。めくらも目明きにしてみせる。いざりもたちまちたちあがる。ブカブカドンドン・・・!(以下略)」[1]
- ^ 『金のジョッキに、銀の泡』 原田 恒雄 (著) たる出版 (1990/07) ISBN 978-4924713260