ヨハン・アンドレアス・シュトライヒャー Johann Andreas Streicher | |
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基本情報 | |
生誕 |
1761年12月13日 神聖ローマ帝国 ヴュルテンベルク公国 シュトゥットガルト |
死没 |
1833年5月25日(71歳没) オーストリア帝国 ウィーン |
ジャンル | クラシック |
職業 | ピアニスト、作曲家、ピアノ製造技師 |
ヨハン・アンドレアス・シュトライヒャー(Johann Andreas Streicher 1761年12月13日 - 1833年5月25日)は、ドイツ生まれのピアニスト、作曲家、ピアノ製造技師。
シュトゥットガルトで生まれた。1793年に結婚したナネッテ・シュトライヒャーはアウクスブルクで別のピアノ製造会社を営むヨハン・アンドレアス・シュタインの娘であった。2人は1794年にウィーンへと移り住むと、シュトライヒャーはそこでピアノ教師として働き始めた。徐々に作曲の分野でも知られるようになっていく。シュトライヒャー社はルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが若い頃に使用したフォルテピアノの少なくとも1台を製造しており、その楽器を気に入った彼はこう記している。「(その楽器は)私には上等すぎる(中略)私が自分自身で音色を生み出す自由を奪ってしまうからだ[1]」。ウィーンにおいて亡くなった。
彼の工房は息子のヨハン・バプティスト・シュトライヒャーへ受け継がれたが、ヨハン・バプティストの息子エミールは1896年に工房をシュティングル兄弟へ売却した。エミールの息子テオドール・シュトライヒャーが家業を継がず、作曲家となったためである。