ヨーゼフ・フォン・ヘッセン=ローテンブルク Joseph von Hessen-Rotenburg | |
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ヘッセン=ローテンブルク方伯世子 | |
出生 |
1705年9月23日 ランゲンシュヴァルバッハ |
死去 |
1744年6月24日(38歳没) ローテンブルク・アン・デア・フルダ、ローテンブルク城 |
配偶者 | クリスティーネ・ツー・ザルム |
子女 |
ヴィクトリア マリー・ルイーゼ レオポルディーネ エルンスト |
家名 | ヘッセン=ローテンブルク家 |
父親 | ヘッセン=ローテンブルク方伯エルンスト・レオポルト |
母親 | エレオノーレ・ツー・レーヴェンシュタイン=ヴェルトハイム=ロシュフォール |
ヨーゼフ・フォン・ヘッセン=ローテンブルク(Joseph von Hessen-Rotenburg, 1705年9月23日 - 1744年6月24日[1])は、ドイツ・ヘッセン=ローテンブルク方伯家の世子。
ヘッセン=ローテンブルク方伯エルンスト・レオポルトとその妻のエレオノーレ・ツー・レーヴェンシュタイン=ヴェルトハイム=ロシュフォールの間の第1子、長男として生まれた。1726年3月9日アンホルト城において、ザルム侯ルートヴィヒ・オットーの三女クリスティーネ(1707年 - 1775年)と結婚し、間に4人の子をもうけた。
1744年、父に先立って死去。妻との間の男子が育っておらず、方伯家の家督は11歳年下の弟コンスタンティンが相続した。