ライオネル・ホリンズ

ライオネル・ホリンズ
Lionel Hollins
引退
ポジション ポイントガード
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1953-10-19) 1953年10月19日(71歳)
出身地 カンザス州アーカンソーシティ
身長(現役時) 191cm (6 ft 3 in)
体重(現役時) 84kg (185 lb)
キャリア情報
出身 アリゾナ州立大学
ドラフト 1975年 6位 ブレイザーズ
永久欠番 トレイルブレイザーズ  14 
選手経歴
1975-1980
1980-1982
1982-1983
1983-1984
1984-1985
ポートランド・トレイルブレイザーズ
フィラデルフィア・76サーズ
サンディエゴ・クリッパーズ
デトロイト・ピストンズ
ヒューストン・ロケッツ
指導者経歴
1985-1988
1988-1995
1999-2000
2004
2008-2009
2009-2013
2014-2016
2019-2021
アリゾナ州立大学(AC)
フェニックス・サンズ(AC)
バンクーバー・グリズリーズ
メンフィス・グリズリーズ
ミルウォーキー・バックス(AC)
メンフィス・グリズリーズ
ブルックリン・ネッツ
ロサンゼルス・レイカーズ
受賞歴

選手時代

コーチ時代

  • NBAチャンピオン : 2020
Stats ウィキデータを編集 Basketball-Reference.com
Stats ウィキデータを編集 NBA.com 選手情報 NBA.Rakuten

ライオネル・ホリンズLionel Eugene Hollins, 1953年10月19日 - )は、アメリカ合衆国の元バスケットボール選手で指導者。カンザス州アーカンソーシティ出身。現役時代はアメリカ男子プロバスケットボールリーグNBAポートランド・トレイルブレイザーズなどで活躍し、引退後はロサンゼルス・レイカーズのアシスタントコーチなどを務めた。ブレイザーズ時代着用していた14番は永久欠番になっている。

経歴

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選手

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アリゾナ州立大学から、1975年のドラフトでNBAポートランド・トレイルブレイザーズに1巡目6位で指名され入団した。5シーズンをプレーし、1年目はNBAオールルーキーファーストチームに選出された。2年目の1976-77シーズンに優勝を経験し、次のシーズンではオールスターに出場。1978年、79年と2年連続でNBAオールディフェンシブチームに選出された。彼の番号14はポートランド・トレイルブレイザーズの永久欠番となっている。主な通算成績は、7,809 (11.6 ppg)得点、3,006 (4.5 apg)アシスト、1,053 (1.6 spg)スティール。

コーチ

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1990年から2年間CBAでアシスタントコーチを務めた後、1988年から1995年までNBAフェニックス・サンズで、コットン・フィッツシモンズのもとでアシスタントコーチに就任し、NBAでのコーチングキャリアをスタートさせた。

バンクーバー・グリズリーズ

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1990年バンクーバー・グリズリーズの暫定ヘッドコーチに就任し、18勝42敗と大きく負け越し退任した。2004年にグリズリーズが本拠地をメンフィスに移した後にも、暫定コーチを務めている。

メンフィス・グリズリーズ

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2008-09シーズン、ミルウォーキー・バックスのアシスタントコーチを務めた後、2009年メンフィス・グリズリーズに3度目のヘッドコーチとして就任し、2009-10シーズンは勝ち越すことができなかったが、2010-11シーズンは46勝36敗第8シードで、プレーオフに進むと、NBA史上3度目となる8シードが1シードを破るというアップセットを成し遂げ、セミファイナルへ進んだが、オクラホマシティ・サンダーに敗れている。2011-12シーズンは41勝25敗でフランチャイズ最高勝率62.1%で第4シードでプレーオフに臨んだが、1stラウンドで第7戦でロサンゼルス・クリッパーズ敗退している。翌シーズンはフランチャイズ記録56勝でプレーオフに進んだが、カンファレンスファイナルで、サンアントニオ・スパーズにスイープで敗れ、その年に、グリズリーズから契約は更新しないと発表され退団した[1]

ブルックリン・ネッツ

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ジェイソン・キッドミルウォーキー・バックスへの転籍に伴い、2014年7月2日ヘッドコーチに招聘された[2]。2014-15シーズンは38勝44敗ながらチームをプレーオフに導いたが、翌2015-16シーズンは開幕から大きく出遅れ、2016年1月10日に解任された[3]

ロサンゼルス・レイカーズ

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2019年7月31日、ロサンゼルス・レイカーズアシスタントコーチに就任した。

NBA個人成績

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略称説明
  GP 出場試合数   GS  先発出場試合数  MPG  平均出場時間
 FG%  フィールドゴール成功率  3P%  スリーポイント成功率  FT%  フリースロー成功率
 RPG  平均リバウンド  APG  平均アシスト  SPG  平均スティール
 BPG  平均ブロック  PPG  平均得点  太字  キャリアハイ

レギュラーシーズン

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シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG PPG
1975–76 POR 74 25.6 .421 .721 2.4 4.1 1.8 .4 10.8
1976–77 76 29.3 .432 .749 2.8 4.1 2.2 .5 14.7
1977–78 81 33.8 .442 .743 3.4 4.7 1.9 .4 15.9
1978–79 64 30.7 .454 .778 2.3 5.1 1.8 .4 15.3
1979–80 20 20.7 .385 .100 .642 1.0 2.5 1.5 .1 10.0
1979–80 PHI 27 29.5 .415 .200 .770 2.6 4.1 1.7 .3 12.2
1980–81 82 26.3 .470 .133 .731 2.3 4.3 1.3 .2 9.5
1981–82 81 81 27.9 .477 .125 .702 2.3 3.9 1.3 .2 11.0
1982–83 SDC 56 54 32.9 .437 .143 .721 2.3 6.7 2.0 .3 13.5
1983–84 DET 32 0 6.8 .381 .000 .846 .7 1.9 .4 .0 1.8
1984–85 HOU 80 60 24.4 .461 .231 .794 2.2 5.2 1.0 .1 7.6
Career 673 27.4 .444 .149 .741 2.4 4.5 1.6 .3 11.6
All-Star 1 0 23.0 .375 .800 .0 8.0 2.0 .0 10.0

プレーオフ

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シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG PPG
1977 POR 19 35.9 .417 .682 2.7 4.5 2.5 .3 17.3
1978 6 37.2 .449 .690 4.8 5.5 1.2 .0 16.7
1979 3 22.0 .308 .714 1.0 1.7 1.0 .0 7.0
1980 PHI 18 34.3 .416 .000 .794 3.9 6.3 1.5 .2 13.8
1981 16 30.6 .441 .000 .784 2.1 4.1 1.1 .1 10.2
1982 8 14.3 .306 .000 .667 1.1 3.1 1.1 .1 4.3
1984 DET 2 3.0 .000 .0 .0 .0 .5 .0
1985 HOU 5 1 18.8 .308 1.000 1.8 3.6 .8 .0 3.4
Career 77 29.8 .411 .000 .733 2.7 4.5 1.5 .1 11.8

脚注

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関連項目

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外部リンク

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