『ライオネル・リッチー』 | ||||
---|---|---|---|---|
ライオネル・リッチー の スタジオ・アルバム | ||||
リリース | ||||
録音 | カリフォルニア州ハリウッド A&Mレコーディング・スタジオ | |||
ジャンル | R&B、アダルト・コンテンポラリー | |||
時間 | ||||
レーベル | モータウン | |||
プロデュース | ライオネル・リッチー、ジェームス・アンソニー・カーマイケル | |||
専門評論家によるレビュー | ||||
チャート最高順位 | ||||
| ||||
ライオネル・リッチー アルバム 年表 | ||||
|
『ライオネル・リッチー』(Lionel Richie)は、アメリカ合衆国のR&B歌手ライオネル・リッチーが1982年に発表した、ソロ名義では初のスタジオ・アルバム。
リッチーはコモドアーズ在籍時にダイアナ・ロスとのデュエット・シングル「エンドレス・ラブ」を大ヒットさせ、それをきっかけにコモドアーズを脱退してソロ活動に転じた[7]。なお、2003年に発売された本作のリマスターCDには、リッチーが単独で歌った「エンドレス・ラブ」のデモ・ヴァージョンがボーナス・トラックとして追加されている[7]。コモドアーズ時代からリッチーと共同作業を続けてきたジェームス・アンソニー・カーマイケルが、引き続き共同プロデューサーとして参加した[8]。
本作のレコーディングには、当時まだ無名だったリチャード・マークスが起用され、マークスはこの仕事を機にロサンゼルスへ移住した[9]。「装われた悲しみ」には、前年にリッチーと知り合ったテニス選手のジミー・コナーズがバックグラウンド・ボーカルで参加した[10]。また、リッチーは本作に先駆けてケニー・ロジャースのアルバム『Share Your Love』(1981年)をプロデュースしており、その縁でロジャースが本作の「マイ・ラヴ」にゲスト参加している[10]。
母国アメリカではBillboard 200で3位、『ビルボード』のR&Bアルバム・チャートで1位を記録し[1]、リリースから2年後の1984年10月にはRIAAによって4×プラチナの認定を受けている[11]。
ニュージーランドでは1982年12月12日付のアルバム・チャートで初登場21位となり、翌年の5月には2週連続で3位を記録して、合計45週トップ50入りする大ヒットとなった[2]。日本初回盤LP (VIL-6011)はオリコンLPチャートで最高8位を記録し、10万枚以上を売り上げた[3]。全英アルバムチャートでは最高9位を記録し、合計86週トップ100入りするロング・ヒットとなった[4]。
Stephen Thomas Erlewineはオールミュージックにおいて5点満点中4.5点を付け「"You Are"が終わってからは、このレコードはアダルト・コンテンポラリーの悪い面(心を掴むにはあまりにも不明瞭で引っかかりに欠ける)を持つバラード2曲にはまり込んでしまうが、それでも最初の7曲で形作られた、1980年代初頭としては最良の部類に入る、ポップ・ソウルのレコードのダイナミックな王道は損なわれていない」と評している[7]。一方、ロバート・クリストガウはC+を付け「過大な成功を収めたファンク・グループから脱退するや否や、アンディ・ウィリアムスのようになり始めている」と評している[12]。
音楽評論家のエド・パワーが2015年に『デイリー・テレグラフ』紙で選出した「ライオネル・リッチーのベスト・ソング」では、本作からの「別れのフォルム」が5位、「トゥルーリー(愛と測りあえるほどに)」が16位となった[13]。
特記なき楽曲はライオネル・リッチー作。
本作からのシングルのチャート最高位を示す。
タイトル | アメリカ/Hot 100[1] | アメリカ/R&Bシングル[1] | アメリカ/アダルト・コンテンポラリー[1] | イギリス[14] | ニュージーランド[2] |
---|---|---|---|---|---|
トゥルーリー(愛と測りあえるほどに) | 1位 | 2位 | 1位 | 6位 | 21位 |
ユー・アー | 4位 | 2位 | 1位 | 43位 | 3位 |
マイ・ラヴ | 5位 | 6位 | 1位 | 70位 | - |