ライオンズハート Lionsheart | |
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出身地 |
![]() チェルトナム |
ジャンル |
ヘヴィメタル パワーメタル ハードロック |
活動期間 | 1990年 - 2005年頃 |
レーベル |
ミュージック・フォー・ネイションズ Metaledge Records フロンティアーズ・レコード 3D Records ポニーキャニオン |
共同作業者 | スティーヴ・グリメット・バンド |
旧メンバー | 別記参照 |
ライオンズハート(Lionsheart)は、イングランド出身のヘヴィメタル・バンド。
元グリム・リーパーのボーカリスト、スティーヴ・グリメットとオワーズ兄弟を中心に結成し、1992年にデビュー。主に日本で成功を収めた。
1990年イングランド・チェルトナムで、ヘヴィメタル・バンド「グリム・リーパー」や「オンスロート」のボーカリストとして知られていたスティーヴ・グリメットが[1]、Fury and Toucheというバンドで活動していた、オワーズ兄弟と共に結成。
さらにメンバーを加えて、1992年にアルバム『ライオンズハート』でデビュー。しかし同年にオワーズ兄弟が、リリアン・アクスのツアーに参加するために脱退し、早くもメンバー交代を余儀なくされる[2]。
翌年には日本でもアルバムをリリース。当時のロック・シーンではグランジ・オルタナティブロックが流行し、ヘヴィメタル系のミュージシャンにも大きな影響を及ぼしていた。
そんな中でも、正統派ブリティッシュ・ヘヴィメタルの系譜を色濃く意識したサウンドは日本で歓迎され、『BURRN!』誌がデビュー前から繰り返し取り上げるなど、新人としては異例の扱いを受けた。しかし、オワーズ兄弟の突然の脱退により急遽新メンバーを加えて行った来日公演は露骨なリハーサル不足が露呈し、クオリティの低いパフォーマンスを見せてしまい、ファンを大きく失望させる結果となってしまう。
1995年、続くセカンド・アルバム『プライド・イン・タクト』も、日本で10万枚を売り上げるなどヒットしたが、母国では小規模なライブツアーを成功させたぐらいで、殆ど注目されなかった。
サード・アルバムのリリースは、レコード会社とのトラブル等で1998年まで遅れ、商業的にも成功せずバンドは休止状態となる。グリメット自身は、ソロ活動などに移行していった[3]。
2000年頃からバンドは再始動し、2004年に4rhアルバム『アビス』を米国・テキサスのMetaledge Recordsから発表[4]。フロンティアーズ・レコードから世界発売もされた。その後、グリメットは、再びソロ活動に重点を置いて「スティーヴ・グリメット・バンド」を立ち上げたため[5]、「ライオンズハート」はそのまま内包された状態となり自然消滅。イアン・ナッシュだけが残留して、グリメット主宰の新生グリム・リーパーに移行した。