ラドフォード (DD-446)

ラドフォード
基本情報
建造所 フェデラル・シップビルディング・アンド・ドライドック
運用者 アメリカ合衆国の旗 アメリカ海軍
艦種 駆逐艦
級名 フレッチャー級駆逐艦
モットー HUK King
艦歴
起工 1941年10月2日
進水 1942年5月3日
竣工 1942年7月22日
就役 1942年7月22日
退役 1969年11月10日
除籍 1969年11月10日
その後 1970年10月にスクラップとして売却
要目
排水量 2,050トン
全長 376 ft 5 in (114.7 m)
最大幅 39 ft 7 in (12.1 m)
吃水 17 ft 9 in (5.4 m)
機関 蒸気タービン、2軸推進 60,000 shp (45 MW)
速力 38ノット (70 km/h)
航続距離 6,500海里 (12,000 km)
15ノット(30km/h)時
乗員 士官、兵員329名
兵装 5インチ砲5門
20mm砲7門
40mm砲8門
爆雷軌条2基
爆雷投射機6基
21インチ魚雷発射管10門
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ラドフォード (USS Radford, DD-446) は、アメリカ海軍駆逐艦フレッチャー級駆逐艦の一隻。艦名はウィリアム・ラドフォード海軍少将に因む。その名を持つ艦としては二代目である。

艦歴

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「ラドフォード」は太平洋戦争開戦前の1941年10月2日ニュージャージー州カーニーフェデラル・シップビルディング・アンド・ドライドック社で起工され、1942年5月3日、フランソワ・E・マッテス夫人によって命名・進水、同年7月22日竣工した。

第二次世界大戦

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竣工した「ラドフォード」は太平洋艦隊に配属され、太平洋における対日作戦に参加した。東京急行に対する攻撃作戦に従事し、1943年7月5日にはクラ湾夜戦、7月12日にはコロンバンガラ島沖海戦に参加した。また、軽巡洋艦「ヘレナ」 (USS Helena, CL-50) の救助活動で468名を救い、殊勲部隊章を受章している。1943年11月25日20時49分、北緯03度10分 東経171度55分 / 北緯3.167度 東経171.917度 / 3.167; 171.917マキン島西方50浬地点付近で、「ラドフォード」は13km先で浮上した潜水艦「伊19」をレーダー探知。調査のため接近中、相手が潜航していったためレーダーからの反応が消えた。21時40分、潜航中の「伊19」をソナー探知したため爆雷7発を投下し、撃沈した。その後1944年12月にはルソン解放の支援として掃海作業に従事し、フィリピン政府からの殊勲部隊章も受章した。「ラドフォード」は1946年1月17日に退役し、サンフランシスコで予備艦として保管される。

大戦後

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大戦後 FRAM I 近代化が行われ、1949年3月26日に DDE-446 (護衛駆逐艦)に艦種変更、10月17日に再就役した。朝鮮戦争が勃発すると第7艦隊の一部として国連軍を支援し、その後西海岸およびハワイでの活動と、西太平洋での配備を交互に行った。1960年には真珠湾で FRAM II 改修が行われた。1962年6月30日に艦種を駆逐艦に再度変更された。

1965年3月3日に「ラドフォード」は第252駆逐艦隊と共に真珠湾を出港し、緊張の高まる南シナ海へ展開する。10月と12月にジェミニ計画の回収艦任務に就く。その後シードラゴン作戦マーケットタイム作戦に参加し、ベトナム戦争中の1965年から69年まで偵察救助任務や支援砲撃任務に従事した。

「ラドフォード」の11回目の西太平洋配備は1966年7月5日に始まった。この配備では対潜水艦戦に参加し、トンキン湾での航空母艦の護衛、二度の支援艦砲射撃、台湾の偵察任務などを行う。ジョンソン大統領のマレーシア訪問時には南シナ海で作戦活動に従事する第7艦隊のレーダーピケット艦として支援を行った。第252駆逐艦隊は1966年12月16日に真珠湾に帰還した。

「ラドフォード」は1969年11月10日にサンフランシスコで退役、同日除籍された。その後1970年10月にスクラップとして売却された。

「ラドフォード」は第二次世界大戦の戦功で12個の、朝鮮戦争の戦功で5個の、ベトナム戦争の戦功で4個の従軍星章を受章し、合衆国遠征章も受章した。

関連項目

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外部リンク

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