ラファエル・ヴィニオリ | |
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生誕 |
1944年6月1日 ウルグアイ・モンテビデオ |
死没 |
2023年3月2日 (78歳没) アメリカ合衆国・ニューヨーク州 ニューヨーク |
職業 | 建築家 |
受賞 | International Fellow, The Royal Institute of British Architects (2007), Medal of Honor, American Institute of Architects, New York Chapter (1995), National Academician, The National Academy (1994) |
所属 | Rafael Viñoly Architects PC |
建築物 |
東京国際フォーラム 432 パーク・アベニュー カラスコ国際空港 ブルックリン・チルドレンズ・ミュージアム デイヴィッド・L・ローレンス・コンベンション・センター |
ラファエル・ヴィニオリ・ベセイロ(Rafael Viñoly Beceiro、1944年6月1日 - 2023年3月2日)は、ウルグアイ・モンテビデオ生まれ、アルゼンチン育ち、アメリカ合衆国・ニューヨーク拠点の建築家。
映画・劇場演出家の父と数学教師の母の間に生まれる。ブエノスアイレス大学で、1968年に建築の学位と1969年には建築・都市計画学部で修士を修了。
1964年に、6人の仲間と建築設計事務所を設立。この事務所は後に、短期間に多くの目立った仕事をこなす南米で最大の建築事務所となった。
1978年に、家族と共にアメリカ合衆国に移住。短期間だがハーバード大学設計大学院で客員講師を務め、1979年にニューヨークに居を落ち着けた。
1983年に、ラファエル・ヴィニオリ建築事務所を設立。ニューヨークでの最初のプロジェクトは、ジョン・ジェイ法科大学で、1988年に竣工。1989年には東京国際フォーラムの国際公開コンペで採用、1996年に竣工した。ヴィニオリ建築事務所は、ニューヨークのワールド・トレード・センター再建設計コンペでも最終候補に残った。
40年以上のキャリアの中、ヴィニオリはアメリカ合衆国、中南米、ヨーロッパ、アジア、アフリカ、中近東での建築を手がけた。近年、ヴィニオリ建築事務所は急成長を遂げ、ロンドンとロサンゼルスに支店を持ち、アブダビ、ドバイ、バーレーンなどでも現場事務所を持つ。
2010年にヴィニオリの設計で建築されたラスベガスのホテル「ヴィダーラ」において、ホテルの一面が凹面をしていることで、その面のガラスで反射された光がプール周辺に集まり高温になる事件が報じられた。同様に、2013年のロンドンでも、ヴィニオリによって設計された20フェンチャーチ・ストリートで同じように凹面のガラスの反射で駐車中の車が溶ける事件が報じられた。
ヴィニオリはアメリカ建築学会フェロー、王立英国建築家協会国際フェロー、日本建築家協会会員、アルゼンチン建築家協会会員であった。
2023年3月2日、ニューヨークにて死去[1]。78歳没。