ラブ・マシーン | |
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プロフィール | |
リングネーム |
アート・バー[1] ラブ・マシーン[1] ジ・アメリカン・ラブ・マシーン[1] ザ・ビートルジュース[1] イントゥルダー[1] ザ・ジューサー[1] ザ・ウィッチャー[1] |
本名 | アーサー・レオン・バー(Arthur Leon Barr)[1] |
身長 | 185cm[1] |
体重 | 109kg[1] |
誕生日 | 1966年10月8日[1] |
死亡日 | 1994年11月23日(28歳没) |
出身地 |
アメリカ合衆国 オレゴン州 マルトノマ郡ポートランド[1] |
トレーナー |
ロディ・パイパー [1] サンディ・バー[1] |
デビュー | 1987年1月1日[1] |
ラブ・マシーン(Love Machine、本名:Arthur Leon Barr、1966年10月8日 - 1994年11月23日)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。オレゴン州ポートランド出身。
父親はオレゴン地区のプロモーターとしても活動したサンディ・バー[2]、実の兄はジェシー・バー[1]。
オレゴン州立大学のアマチュアレスリング出身[3]。アマレスでは4度の地区王者と2度の州王者になった[3]。その後最初の妻の妊娠で大学を中退し[3]、昼は仕事、夜はプロレスのトレーニングを始める。幼少からの旧知だったロディ・パイパーの元でトレーニングも始め、1987年1月1日に父のサンディ・バーがプロモートしていたNWA傘下団体のパシフィック・ノースウエスト・レスリング(PNW)にてデビュー。当時のリングネームは本名のアート・バー(Art Barr)やザ・ビートルジュース(The Beetlejuice)を名乗った。11月21日には9人によるバトルロイヤルで優勝しNWAパシフィック・ノースウエストTV王座の初代王者になった[4]
1990年、PNWでビッグ・ジュースことジェフ・ワーナーとジュース・パトロール(Juice Patrol)なるタッグチームを結成。3月と6月にNWAパシフィック・ノースウエストタッグ王座を獲得した[5]。同年9月には、ザ・ジューサー(The Juicer)のリングネームでWCWに登場した[6]。
1991年11月にはメキシコのEMLLに、星条旗をイメージしたタイツとハートマークのデザインされたマスクを被った覆面レスラー、ラブ・マシーン(Love Machine)として出場[7]、1992年11月、12月にはAAAに登場[8]、4月3日にはCMLLにて怪我をさせたことで抗争に発展していたブルー・パンテルにコントラ・マッチに敗れ素顔を晒す[9]、これを機にルードに転身。エディ・ゲレロらとラ・パレハ・デル・テロー(のちにメンバーが増えロス・グリンコス・ロコス)を結成。アメリカ出身ルード軍として悪党人気を得る。9月20日と10月7日にベスティア・サルバヘの持つCMLL世界ミドル級王座に挑戦も何れも奪取にならなかった[10]。
1994年6月、新日本プロレスにジ・アメリカン・ラブ・マシーン(The American Love Machine)のリングネームで来日[11]。11月23日、自宅のあったオレゴン州スプリングフィールドにおいて、子供と一緒に横たわって死去しているところを発見された[3]。