ラルシュ共同体(ラルシュきょうどうたい/ラルシュ・コミュニティー、仏:Communautés de l'Arche/英:L'Arche Community)は、1964年にフランス系カナダ人のジャン・バニエにより設立された、知的障がいを持つ人と持たない人が共に生きる国際的なコミュニティーである。ジャン・バニエは、2015年に宗教分野のノーベル賞と言われるテンプルトン賞を受賞した[1][2]。日本では静岡に「ラルシュ かなの家」がある[3]。
1964年、ジャン・バニエは、友人のトマ・フィリップ神父を通じて、ラファエルとフィリップという知的障がいを持つ男性と出会った。病院に閉じ込められるように暮らしていた彼らの状況を知ったバニエは、「施設」ではなく「家庭」で暮らすことが大切と考え、彼らとともにフランスのトロリー村で祈りを中心とする共同生活を始めた。これが、ラルシュ共同体の始まりである。その後、ラルシュのスピリチュアリティ(霊性)に基づくグループ・ホームは世界各地に作られるようになり、現在では世界35か国に147のコミュニティーがある[1]。「ラルシュ」は、フランス語で「箱舟」の意味から付けられた名前である[4]。
愛するとは、その人の存在を喜ぶことです。その人の隠れた価値や美しさを、気付かせてあげることです。人は、愛されて初めて、愛されるにふさわしいものになります。 — ジャン・バニエ[5]
ラルシュは、「なかま(コア・メンバー)」と呼ばれる知的障がいを持つ人々と彼らの生活を支える「アシスタント」と呼ばれる人々が、人間らしさを探そうとするコミュニティー(共同生活の場)である。コミュニティーは、通常、複数のグループ・ホーム(家)から成り、コア・メンバーとアシスタントは決まったホームで家族として生活する。また、多くのコミュニティーでは、地域の知的障がいを持つ人々を対象としたデイケア・プログラムも行っている。各コミュニティーは国際ラルシュ連盟に加盟しているが、運営はそれぞれ地域に根ざして独立して行われる。
ラルシュではそれぞれの信仰が大切にされており、異なる宗教や文化に属しながら、共に祈ることを中心とした生活を送っている。当初はカトリックの伝統から始まったが、現在のラルシュはキリスト教徒だけでなく、ヒンドゥー教徒、ユダヤ教徒、イスラム教徒など、その他の信仰を持つ人々にも広がりを見せている[6]。
わたしたちは新しい文化を創造しているのです。誰であっても、宗教や国籍や、障がいのあるなしに関わらず、異なった人々が生きていける小さなしるしとして。すべての人に場所がある、そういう文化を創造しているのです。 — ジャン・バニエ
ラルシュ共同体の各コミュニティーは国際ラルシュ連盟に加入し、ラルシュ・コミュニティー憲章[7]に則り運営されている。日本では、静岡県静岡市にある「かなの家」が1991年に国際ラルシュ連盟の正式なメンバーとして承認され、現在、日本唯一のラルシュ共同体となっている[3]。
かなの家の他には、「シード・グループ」と呼ばれるラルシュをモデルとしたグループ・ホームが日本各地に存在し、ラルシュ共同体となることを目指している。
バングラデシュではテゼ共同体により、2002年にラルシュの理念に沿ったグループ・ホームが初めて創設され[8]、2007年に「ラルシュ・マイメンシン」として国際ラルシュ連盟のメンバーとなった。2008年以降、そのラルシュのコミュニティ・リーダーは、日本の国際協力NGOの草分けである日本キリスト教海外医療協力会(JOCS)から派遣された岩本直美ワーカー(看護師)である。
イスラム教国のバングラデシュのラルシュでは、それぞれ違う宗教に属するメンバー(イスラム教、ヒンドゥー教、キリスト教)が、互いの信仰を大切にしつつ、祈りを中心とした生活をともにしている[8]ことから、世界のラルシュ・コミュニティーのなかでも先進的な例として特に注目されている[9]。
ラルシュの財政は各コミュニティーで独立しており、その資金源は所在国により大きく異なる。アトリエや作業所での労働(クラフト制作や石鹸製造など)からの収入に加え、先進国の場合は、政府からの補助金・給付金などによって成り立っている。社会福祉制度が存在しない発展途上国の場合、資金源はもっぱら地域や海外からの寄付金である。