ランチア・(ベータ)・モンテカルロ | |
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シリーズ1 | |
シリーズ2 | |
概要 | |
別名 | ランチア・スコーピオン[1] |
販売期間 | 1975年-1984年 |
デザイン | ピニンファリーナ |
ボディ | |
乗車定員 | 2人 |
ボディタイプ | 2ドア クーペ |
駆動方式 | MR |
パワートレイン | |
エンジン | 直4ガソリンDOHC1,995cc120馬力 |
変速機 | 5速MT |
前 | 前:独立 マクファーソンストラット・コイル 後:独立 ストラット ウイッシュボーン・コイル |
後 | 前:独立 マクファーソンストラット・コイル 後:独立 ストラット ウイッシュボーン・コイル |
車両寸法 | |
ホイールベース | 2,300mm |
全長 | 3,813mm |
全幅 | 1,696mm |
全高 | 1,190mm |
車両重量 | 1,040kg/970kg(Sr.2) |
ランチア・(ベータ)・モンテカルロ(Lancia Beta MonteCarlo)はイタリアの自動車メーカー・ランチアのベータシリーズの2人乗りミッドシップスポーツカーである。1975年から1984年まで販売された。
当初は「フィアット・X1/20」として、X1/9の上級モデルとしてフィアットが開発していたが、最終段階でより高級かつスポーティなイメージを持つランチアブランドが与えられることになり、1975年のジュネーヴ・モーターショーで、ベータシリーズのスポーツモデルとしてデビューした。デザインと車体製造はピニンファリーナが行った。型式はZLA137ASO。
同じランチアが1974年に発売したミッドシップマシンのストラトスが、ラリー競技向けのスパルタンなスポーツカーであったのに対し、モンテカルロは豪華な内装、広い視界、強固なバンパーやサイドプロテクトモールなど、実用性に十分配慮されたエレガントなスポーツカーであった。その分エンジンの最高出力は120 PS、最高速度は190 km/hと性能は控えめで、特に排気ガス対策を施された北米仕様車のスコーピオン[2]は1,756 cc・81 PSとやや非力で、大型バンパーや丸型ヘッドライトで外観もスポイルされていたこともあり、販売は低迷した[3]。
そのため1978年2月に一旦生産中止となるも、1980年にシリーズ2として復活。この時から車名のベータが取れ、単に「モンテカルロ」となった[4]。他のベータ同様に、伝統的なパターンのフロントグリルに変更されたほか、後部のフィンにはガラスが嵌め込まれて、弱点であった斜め後方の視界も改善された。エンジンは点火系をポイント式からフルトラ式に変更した上で圧縮比も高められ、0-60マイル加速は10秒から8.6秒に短縮された。シリーズ2は1981年9月まで生産された。
スペック上では理想的なスポーツカーであったが、実際には激しい騒音、固いシフトフィール、リアクロスメンバーの腐食による破損、オーバーサーボ気味でフロントが早期にロックするブレーキなどの欠点を持っていた。車体もファイヤーウォール(バルクヘッド)やホイールアーチ、フロアパネルなどが錆びやすいことが原因で、多くの個体が既に廃車となっている。英BBCのテレビ番組『トップ・ギア』(第14シーズン・エピソード3)では「ランチアの栄光と悲劇」として紹介されており、イギリス特有の雨期の影響もある中、国内メディアの執拗な攻撃を受け、改良型ベータはおろか全モデルが深刻な販売不振に陥り、1994年にランチアがイギリス市場撤退に追い込まれるに至るまでが綴られている。こうした欠点を克服し、良いコンディションで維持された個体には希少価値がつきつつある。
日本では、シリーズ1がガレーヂ伊太利屋によって並行輸入で、シリーズ2は当時の輸入代理店であった東邦モーターズによって受注生産の形態で、それぞれ少数が輸入された。
レースでは、プロトティーポとして1974年アバルトとピニンファリーナによって開発されたアバルトSE030がある。ピニンファリーナでの風洞実験によって決められた流麗なボディに、フィアット130用V6気筒をベースにアバルトでウェーバー[要曖昧さ回避]キャブレター三連装等のチューンを経て、285PSを発揮するエンジンをミッド・シップに縦置きし、ミッションはデ・トマソ・パンテーラ用のトランス・アクスルを流用。その年の10月のジロ・デ・イタリアにてジョルジオ・ピアンタのドライブにより、2位入賞を果たす。このボディフォルム自体は当時フィアットで開発中であったX1/20に採用された経緯がある。
1976年末のランチアとフィアット自体のレース部門の統廃合によりラリーチーム人員の大半がレースへ転向してきた関係もあり、フィアットの意向によりストラトスから次第にフェードアウトしていたワークスレース活動の材料として再度このSE030へと白羽の矢が立つ。
1979年5月、ツールドフランスオートモービルのイタリア版であるジロディタリアオートモビリスティコでそれまでのストラトスのGr.5仕様と入れ替わるように登場した。アバルトチューンでKKK製ターボを搭載し360PSを発揮し、ダラーラにてシャーシ開発された「ベータ・モンテカルロ・ターボ Gr.5」である。F1勢からジル・ヴィルニューヴやリカルド・パトレーゼ、ミケーレ・アルボレートラリー勢からヴァルター・ロール、マルク・アレンらがドライブし、ニュルブルクリンク1000km、ル・マンといったサーキット耐久レースに参戦。1980・1981年のタイトルを獲得。ランチア・LC1、ランチア・LC2の登場まで熟成を重ねる。耐久レースがGr.Cに移行し、ラリーシーンではプロトティーポとしてのアバルトSE037を経て、1982年にGr.B規定の競技用ランチア・ラリー037が登場した。