ワシントン・ウィザーズHCでのウィットマン (2011年) | |
オーランド・マジック | |
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ポジション | SG |
役職 | コーチングコンサルタント |
基本情報 | |
国籍 | アメリカ合衆国 |
生年月日 | 1959年10月28日(65歳) |
出身地 | インディアナ州インディアナポリス |
身長(現役時) | 198cm (6 ft 6 in) |
体重(現役時) | 95kg (209 lb) |
キャリア情報 | |
出身 | インディアナ大学 |
NBAドラフト | 1983年 / 1巡目 / 全体22位[1] |
ワシントン・ブレッツから指名 | |
選手経歴 | |
1983-1988 1988-1989 1989-1992 |
アトランタ・ホークス サクラメント・キングス インディアナ・ペイサーズ |
指導者経歴 | |
1992-1993 1993-1994 1994-1999 1999-2002 2002-2005 2005-2006 2006-2008 2009-2012 2012-2016 |
インディアナ・ペイサーズ(AC) ダラス・マーベリックス(AC) ミネソタ・ティンバーウルブズ(AC) クリーブランド・キャバリアーズ ミネソタ・ティンバーウルブズ(AC) オーランド・マジック(AC) ミネソタ・ティンバーウルブズ ワシントン・ウィザーズ(AC) ワシントン・ウィザーズ |
受賞歴 | |
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Stats Basketball-Reference.com | |
ランディ・スコット・ウィットマン(Randy Scott Wittman, 1959年10月28日 - )は、アメリカ合衆国の元バスケットボール選手。北米男子プロバスケットボールNBAのアトランタ・ホークス、サクラメント・キングス、インディアナ・ペイサーズでプレーした。2012年から2016年にかけてはワシントン・ウィザーズのヘッドコーチを務めた。2017年9月のよりオーランド・マジックのチーム相談役。インディアナ州インディアナポリス出身。身長193cm、体重86kg。
1983年1巡目22位でワシントン・ブレッツより指名を受けNBAプレーヤーとなった。アトランタ・ホークスにトレードされ、キャリアの大半で5シーズンをプレーした。その後、サクラメント・キングス、インディアナ・ペイサーズで4シーズンプレーした後引退した。NBA通算成績は、543試合に出場し760リバウンド、1,201アシスト、4,034得点を記録している。
1992年、最後にプレーしたインディアナ・ペイサーズでボブ・ヒルのもとでアシスタントコーチとしてキャリアをスタートさせた。その後、ダラス・マーベリックス、ミネソタ・ティンバーウルブズでアシスタントコーチを務め、1999年クリーブランド・キャバリアーズヘッドコーチに就任し3シーズン指揮を執った。2007年ミネソタ・ティンバーウルブズのヘッドコーチを1シーズンした後、ワシントン・ウィザーズで、エディー・ジョーダン、エド・タブスコット、フリップ・ソーンダーズのもとでアシスタントコーチを3シーズン務め、2011-2012シーズンの途中で、フリップ・ソーンダーズよりヘッドコーチを受け継ぎ[1]、2013-14シーズンは44勝38敗を記録し、ウィザーズを2008年以来のプレーオフ進出に導いた。チームはカンファレンスセミファイナルまで進出し、インディアナ・ペイサーズから2勝をあげたが敗退。2014-15シーズンも46勝36敗を記録し、プレーオフではクォーターファイナルでトロント・ラプターズを4戦全勝で一蹴。続くアトランタ・ホークス戦は、ジョン・ウォールが左手を骨折した影響もあり、2勝4敗で敗れたが、ポール・ピアースの奮闘などで激戦を展開した。しかし、2015-16シーズンはピアースの移籍の穴を埋めきれず、5割前後を往復する不安定な戦いに終始し、41勝41敗でプレーオフも不出場に終わり、シーズン最終戦終了後に解任された[2]。
2017年9月3日、オーランド・マジックに "コーチング・コンサルタント" という肩書きで、チームの相談役に就任したことが発表された[3]。