ランディ・ローズ | |
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左からローズ、ポール・E・デンジャラスリー、デニス・コンドリー(1987年) | |
プロフィール | |
リングネーム |
ラヴィシング・ランディ・ローズ ランディ・オルズ ランディ・ホール スーパー・プロ |
本名 | ランドール・ハーモン・オルズ |
身長 | 185cm |
体重 | 110kg(全盛時) |
誕生日 | 1956年7月19日(68歳) |
出身地 |
アメリカ合衆国 テネシー州 デイヴィッドソン郡ナッシュビル |
デビュー | 1977年 |
引退 | 1992年 |
"ラヴィシング" ランディ・ローズ("Ravishing" Randy Rose、本名:Randall Harmon Alls[1]、1956年7月19日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。テネシー州ナッシュビル出身(ジョージア州アトランタ出身ともされる[2])。
1980年代に一世を風靡したタッグチーム、ミッドナイト・エクスプレス(The Midnight Express)のオリジナル・メンバーである[3]。
デビュー後はランディ・ホール(Randy Hall)およびランディ・オルズ(Randy Alls)のリングネームで活動[1]。フロリダ、ジョージア、テキサスなどNWAの南部テリトリーをジョブ・ボーイとして転戦し、ジョージアではスタン・ハンセンやアブドーラ・ザ・ブッチャーのジョバーも務めた[4]。
1978年6月、ランディ・オルズとして国際プロレスの『ビッグ・サマー・シリーズ』に初来日[2][5]。その後カンザスシティのセントラル・ステーツ地区に入り、1979年1月2日にディック・マードックからNWAセントラル・ステーツ・ヘビー級王座を奪取した[6]。
1980年からはアラバマのサウスイースタン・チャンピオンシップ・レスリング(SECW)に参戦して、ランディ・ローズ(Randy Rose)に改名。同年9月に国際プロレスの『ダイナマイト・シリーズ』に再来日、アレックス・スミルノフやビッグ・ジョン・クインら外国人勢の斬り込み隊長役となって暴れた[7]。国際では金網デスマッチも行っており、試合功者ぶりを発揮して関係者から高い評価を得た[8]。
帰国後もSECWを主戦場に、国際プロレスでも共闘していたロン・バスと組んで1980年10月にジョー・ルダック&ロバート・フラーからNWAサウスイースタン・タッグ王座を奪取[9]。同年の末からはデニス・コンドリーとタッグを組み、翌1981年からはノーベル・オースチンも仲間に引き入れ、ヒールのタッグチーム・ユニットであるミッドナイト・エクスプレスを結成[3]。サウスイースタン・タッグ王座を再三に渡って獲得[9]、メンフィスのCWAにも参戦した[10]。
1983年下期のチーム解散後はSECWに定着して、ロン・スター&ウェイン・ファリスとのユニットや従兄弟のパット・ローズとのタッグチームなどで活動[11][12]。一方コンドリーは、1984年にビル・ワットのMSWAでボビー・イートンと第2期ミッドナイト・エクスプレスを結成し、1985年よりNWAのジム・クロケット・プロモーションズで活躍したが1987年に離脱。その後、ローズとコンドリーは末期のAWAにて再合体、ポール・E・デンジャラスリーをマネージャーに "オリジナル" ミッドナイト・エクスプレスを名乗り、1987年10月30日にジェリー・ローラー&ビル・ダンディーからAWA世界タッグ王座を奪取、12月27日にマーティ・ジャネッティとショーン・マイケルズのミッドナイト・ロッカーズに敗れるまで保持した[13]。
1988年11月からはオリジナル・ミッドナイト・エクスプレスとしてNWAクロケット・プロに参戦し、コンドリーの離脱後に再編されていたイートンとスタン・レーンの新生ミッドナイト・エクスプレスを相手に骨肉の抗争を展開[3][14]、12月26日開催の『スターケード'88』においても両チームは対戦した[15][16]。しかし、テッド・ターナーのクロケット・プロ買収によりWCWが発足すると、1989年2月に再びコンドリーが離脱。ローズはジャック・ビクトリーとの新コンビで継続参戦していたが、イートン&レーンとのルーザー・リーブス・タウン・マッチに敗れ、同年8月をもってWCWを離れた[3]。
1990年1月、ローズをスカウトしたとされるブッチャーの仲介で全日本プロレスの『新春ジャイアント・シリーズ』に来日[17]、1月14日の後楽園ホール大会では 小橋健太の7番勝負第3戦の相手を務めた[2][18]。全日本プロレスには1991年5月の『スーパー・パワー・シリーズ』にもブッチャーと共に参戦している[19]。
1992年頃に現役を離れ、ホームタウンの北ジョージアにてチャリティ活動に携わった。引退後も時折インディー団体にスポット参戦しており[3]、2006年にはバージニアのTNTプロレスリングでコンドリーとのオリジナル・ミッドナイト・エクスプレスを再結成して、5月6日にスタイナー・ブラザーズ、9月26日にアームストロング・ファミリー(ボブ&ブラッド・アームストロング)と対戦[20]。2015年1月10日にはサウスカロライナのビッグタイム・レスリングにてトム・プリチャードと組み、イートンとジム・コルネットをセコンドに迎えてロックンロール・エクスプレスと対戦した[20]。