ランビール・シング | |
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ジャンムー・カシュミール藩王国君主 | |
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在位 | 1856年 - 1885年 |
出生 |
1830年8月 ラームガル |
死去 |
1885年9月12日 ジャンムー |
子女 |
プラタープ・シング アマル・シング |
父親 | グラーブ・シング |
ランビール・シング(Ranbir Singh, 1830年8月 - 1885年9月12日)は、北インド、ジャンムー・カシュミール藩王国の君主(在位:1856年 - 1885年)。
1830年8月、ランビール・シングはジャンムーを支配していたドーグラー朝の君主グラーブ・シングの息子として、ラームガルで生まれた[1]。
1856年2月20日、ジャンムー・カシュミール藩王となっていた父グラーブ・シングが退位し、藩王位は息子のランビール・シングが継承した[1]。
1857年5月、インド大反乱が北インド一帯で勃発していたが、ランビール・シングはイギリスに協力し、その鎮圧に努力した。同年6月30日に父グラーブ・シングが死亡した[1]。
その治世、ランビール・シングはシュリーナガルを夏季の首都、ジャンムーを冬季の首都とすることを定めた。これは現在に至るまでインドで続いている。
1885年9月12日、ランビール・シングはジャンムーで死亡し、息子のプラタープ・シングが継承した[1]。
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