La Boissière-sur-Èvre | |
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行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏 |
県 (département) | メーヌ=エ=ロワール県 |
郡 (arrondissement) | ショレ郡 |
小郡 (canton) | ボープレオ小郡 |
INSEEコード | 49033 |
郵便番号 | 49110 |
市長(任期) |
クリストフ・ドゥジェ[1] · [2] (2014年 - 2020年) |
自治体間連合 (fr) | C.C. Montrevault Communauté |
人口動態 | |
人口 |
428人 (2012年) |
人口密度 | 71人/km2 |
住民の呼称 | Buissiérain |
地理 | |
座標 | 北緯47度18分09秒 西経1度04分44秒 / 北緯47.3025度 西経1.07888888889度座標: 北緯47度18分09秒 西経1度04分44秒 / 北緯47.3025度 西経1.07888888889度 |
標高 |
平均:m 最低:17m 最高:102 m |
面積 | 6.02km2 |
公式サイト | laboissieresurevre.fr |
ラ・ボワシエール=シュル=エヴル (La Boissière-sur-Èvre)は、フランス、ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏、メーヌ=エ=ロワール県のかつて存在したコミューン。
モージュ地方にあるアンジューのコミューンで、ラ・シャペル・サン・フロランの南西に位置する。ブジエからサン=レミ=アン=モージュをつなぐ県道152号線が通る。
1146年にはBusseria、1163年にBusserium、その後La Boissière-Saint-Florent、1883年より現在の名称となった[3][4][5][6]。
2つの世界大戦の戦間期には、コミューンの名がまだLa Bouessière-sur-Evreとつづられていた[7]。これは伝統的なアンジュヴァン語(オイル語の一種)のモージュ方言であった。
ヴァンデ戦争の間、コミューンを通過した地獄部隊が45人の住民の命を奪ったと主張されている。
普仏戦争での死者は1人であった。第一次世界大戦では、25人の住民が戦死した。第二次世界大戦では住民1人が殺害された[3]。
2014年、自治体間連合に属するコミューンが合併してコミューン・ヌーヴェルとなる計画が浮上した。2015年7月6日、自治体間連合内のコミューン議会でコミューン・ヌーヴェル創設が可決された[8]。これにより、モントルヴォー=シュル=エヴルが2015年12月15日に誕生することになった。2015年10月5日、コミューン・ヌーヴェル創設は正式に県条例で認められた[9]。
1962年 | 1968年 | 1975年 | 1982年 | 1990年 | 1999年 | 2006年 | 2012年 |
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410 | 420 | 347 | 321 | 365 | 367 | 381 | 428 |
source=1999年までLdh/EHESS/Cassini[10]、2004年以降INSEE[11][12]
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