カテゴリー | F1 | ||||||||
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コンストラクター | リジェ | ||||||||
デザイナー | フランク・ダーニー | ||||||||
先代 | リジェ・JS41 | ||||||||
主要諸元 | |||||||||
シャシー | カーボンファイバー ハニカム コンポジット | ||||||||
サスペンション(前) | プッシュロッド | ||||||||
サスペンション(後) | プッシュロッド | ||||||||
エンジン | 無限ホンダ MF301HA 72度 V10, NA, | ||||||||
トランスミッション | リジェ製 6速 セミAT | ||||||||
燃料 | エルフ | ||||||||
タイヤ | グッドイヤー | ||||||||
主要成績 | |||||||||
チーム | リジェ ゴロワーズ・ブロンド | ||||||||
ドライバー |
9. オリビエ・パニス 10. ペドロ・ディニス | ||||||||
コンストラクターズタイトル | 0 | ||||||||
ドライバーズタイトル | 0 | ||||||||
初戦 | 1996年オーストラリアグランプリ | ||||||||
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リジェ・JS43 (Ligier JS43) は、リジェチームが1996年シーズンのF1参戦に用いたフォーミュラ1カーである。1997年よりプロスト・グランプリへ移行したため、リジェにとって最後のF1マシンとなった。
フランク・ダーニーが設計したJS43は、前年に好成績を挙げたJS41の発展型であった。しかしながら、チーム共同オーナーのトム・ウォーキンショーがチーム創始者のギ・リジェと対立しチームを離脱する。代わって元フェラーリチーム代表のチェーザレ・フィオリオがチームの指揮を採った。
ドライバーはチーム在籍3年目になるオリビエ・パニスと、フォルティから移籍したペドロ・ディニスに一新された。
タイトルスポンサーは前年までのジタンからゴロワーズに変更され、サイドボディにはディニスが持ち込んだパルマラットのスポンサーロゴが描かれた。
チーム体制の混乱にもかかわらず、JS43はシーズンを通してシャシー、エンジン共に開発が続けられた。パニスはシーズンを通してマシンの制動性能に不満を述べたが、サバイバルレースとなったモナコGPでは自身初優勝を遂げた。チームの優勝としては1981年のカナダGP以来のものであった。また、無限ホンダにとっては初の優勝であった。
パニスはハンガリーGPでは5位、ブラジルGPでは6位に入賞、ディニスは6位に2回入賞した。ディニスはアルゼンチンGPでは走行中に車両火災に遭うが、辛うじて脱出している。
チームは結局15ポイントを獲得し、ラストシーズンをコンストラクターズ6位で終えた。
無限の意向もあり、鈴鹿サーキットでJS43により行われたオーディションを兼ねたテスト走行の機会を得た中野信治は、堅実な走行で評価を得てパニスのチームメイトとして1997年のリジェ・無限のシートを獲得したが、その後1997年2月にアラン・プロストが新オーナーとなり、プロスト・グランプリとして参戦することが決定した。
年 | チーム | エンジン | タイヤ | ドライバー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | ポイント | 順位 |
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1996年 | リジェ | 無限ホンダ V10 | G | AUS |
BRA |
ARG |
EUR |
SMR |
MON |
ESP |
CAN |
FRA |
GBR |
GER |
HUN |
BEL |
ITA |
POR |
JPN |
15 | 6位 | |
オリビエ・パニス | 7 | 6 | 8 | Ret | Ret | 1 | Ret | Ret | 7 | Ret | 7 | 5 | Ret | Ret | 10 | 7 | ||||||
ペドロ・ディニス | 10 | 8 | Ret | 10 | 7 | Ret | 6 | Ret | Ret | Ret | Ret | Ret | Ret | 6 | Ret | Ret |