リチャード・グリーン Richard Greene | |
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1938年撮影 | |
本名 | Richard Marius Joseph Greene |
生年月日 | 1918年8月25日 |
没年月日 | 1985年6月1日(66歳没) |
出生地 | イングランド デヴォン州プリマス |
死没地 | イングランド ノーフォーク |
国籍 | イギリス |
職業 | 俳優 |
ジャンル | 映画・テレビ |
活動期間 | 1934年 - 1982年 |
配偶者 |
パトリシア・メディナ (1941 - 1951) ビートリッツ・サマーズ (1960 - 1980) |
主な作品 | |
四人の復讐(1938年) テンプルちゃんの小公女(1939年) |
リチャード・グリーン(Richard Marius Joseph Greene、1918年8月25日 - 1985年6月1日)は、イングランド出身の俳優。
イギリスでは1950年代に放送された人気テレビシリーズ『ロビン・フッドの冒険(The Adventures of Robin Hood)』の主演俳優として知られる[1]。
1918年(1914年生まれとの資料もある)、代々続く俳優一家に生まれる。両親ともに俳優[2]。アイルランド系とスコットランド系の流れを引く。
1933年、シェイクスピアの舞台『ジュリアス・シーザー』で俳優としてのキャリアをスタートさせる。また、恵まれた容姿を活かし、シャツや帽子のモデルとして生活の糧を得る。1936年、劇作家テレンス・ラティガンの戯曲『涙なしのフランス語(French Without Tears)』の初演に出演。この作品でアレクサンダー・コルダとダリル・F・ザナックに見出され、20世紀フォックスが当時のMGMのスター、ロバート・テイラーに対抗するスター候補として契約。
1938年、ジョン・フォード監督の『四人の復讐』の主演に大抜擢され、ハリウッドデビュー。この映画の成功により多くの女性ファンを獲得し、アイドルスター (matinee idol) として絶大な人気を博す。
第二次世界大戦に従軍した後に復帰するが低迷する。しかし1955年から放送されたイギリスのテレビシリーズ『ロビン・フッドの冒険(The Adventures of Robin Hood)』に主演し、人気を取り戻す。その後はテレビドラマを中心に活躍する。
1982年、脳腫瘍のために起きた転倒事故で大怪我をし、脳の手術を受けるが完治しなかった。1985年、心筋梗塞で死去。